程良い塩梅の雰囲気の場作り激ムズ

「懐かし掲示板 BBS」を消した。当初は特にテーマを設けていなかったが、一部ユーザの私物化が目立ったため、「このサイトに関する意見などを書き残してもらう場」としてルールを設け直した。しかしそれが理解できない相手にウンザリしたため消した。

最近は Neo 名義での SNS 活動もほぼ削除しているので、このサイトや私への連絡先がなくなるのはどうなんだろうと思ったが、もうこのサイト・この名義は「話の通じない人間」と思われていいや、それでやっていこうかなとも思ってきた。メンドくさい手間をかけて、身元を明かせるだけの情報を提供したうえで、私へ連絡してきた人の内容のみ、気が向けば読むかもしれないし、読まずに消すかもしれない、それくらいのスタンスで行こうかなと。誰かのための慈善事業としてやってるワケじゃなくて、私のための場なので、私が嫌なことはやらない。


「懐かし掲示板」というのは、かつて存在した「ポケモン熱狂的ファンはココが違う!」というサイトに存在した「ポケ熱同盟掲示板」を模して作ったものだった。「あの頃のインターネット・コミュニケーション」がちょうど良かったと感じている私は、あの雰囲気を懐古・復興できる場が欲しいと思い、オマージュとして作った。

話題としては、ポケモンの話に限らず、各々の近況なども触れて自由に投稿していたと思うが、そこまでの動線が異なることを見落としていた。すなわち、

  1. ポケモンのファンサイトである「ポケ熱」に到達する
  2. そのサイト内の一コンテンツ「ポケ熱同盟」のページにアクセスし、管理人にメールを送ることで「ポケ熱同盟」会員になる
  3. 「ポケ熱会員同盟」になった暁として、「ポケ熱同盟掲示板」への書き込みを許される

システム的には何ら防いでいなかったので実質的に誰でも書き込めたが、「参加に値する人間」というのを「サイトに到達できたこと」と「管理人による会員チェック」という前段で防いでおり、自然と荒らし (場の目的に沿わない存在) を遠ざけていたと思う。

当然、コレは2003~2005年頃のインターネットの話であり、そもそものインターネット人口が今より格段に少なく、Twitter のような「SNS」という概念もない時代の話だったから、参入障壁も異なるし、人々が常識だと思っている考えも異なるだろう。コレは「あの当時の空気感」を分かっていない人が後からキャッチアップするのは無理なのである。


最近は公の SNS で何か言うとすぐ炎上するので、Discord のようなクローズド空間に引きこもっている人も多そうである。個人的に「それも違うんだよなー」と思うのは、私は「私を誰かに分かってもらいたい」と思って発信する習慣がないからだと思う。このサイトにしても、自分の言いたいことは吐き出しているが、コメント欄で反応をもらって議論するとか、そもそも多数の人に見てもらうとかいう思いがない。あなたに話しかけているワケではなく、自分が作った庭で、自分の好きなモノを展示しているだけなのだ。他人が作った場に訪れて、自分を無条件に受け止めろと迫るような人間とはやっていることが違うのだ。

自分を明らかにしなくていい、自分の主義・信仰・思想を主張しない、自分を正当化しない、存在の証明に使用しない。そういう場であったことを目指したいので、「ユーザ登録が必要なクローズド空間」というのは、なんとなく自分のための空間ではないような感じがしている。


自分は鬱病をこじらせてることもあるし、自分の心をザワつかせる他人の存在に敏感になっているとは思う。「誰に何を言われても無視しとけよ」と思いながらも、名指しされてもいない「自分のことにかすっているような投稿」を見かけただけでそれに囚われて精神的なストレスになる。既存のサービス上で、そうした「自分をザワつかせるモノ」を排除し、かつ「自分を落ち着かせてくれるモノ」だけを取り入れていくのは相当に難しい。10 の「落ち着く投稿」を見られても、その間に 1 の「ザワつく投稿」が混じってしまうと、自分にとってはマイナスになってしまうのだ。

自分のこの面倒で狭い感受性に合うモノを求めようとすると、自分でそういう場を作ることを試みるしかないのかな、と思ったので、「懐かし掲示板 BBS」にせよ別名義での活動にせよ、いくつか試したのだが、やっぱりまだ構想が甘かったのだなと思う。私が落ち着ける居場所を目指しているワケであり、私が管理人である以上、まず私のストレスになる投稿は認めさせない。しかし投稿に関して検閲・フィルタリングが過ぎるのも、他ユーザにとって参入障壁となるし、わざわざココに来る効果が薄れてしまう。本人に悪気がなく、ちょっとした軽口のつもりだったとしても、それが私にとってはダメージになるのだ、というラインは、なかなかシステム的な規制も難しい。利用者に民度・リテラシーを問いたいところだが、そういうことに「気を付けないと書き込めない人」というのは、もうハナから来ないでほしい。なんなら、そういう害悪な人達から逃れるための、繊細な人達が落ち着ける場にしたいのであって、他人の気持ちが分からない、場の空気を壊していることに気付かないような人は客として認めてない、来てほしくないワケだ。

誰かを裁いたり、正しさを競ったり、不幸自慢をしたりする場ではなく、感情の温度が穏やかに落ち着ける空間が欲しい。今の SNS、特に営利目的の場所は、どうしても利用者を増やしユーザをその場になるべく留めさせるために設計されていて、感情の発信を促進し、即時反応することを煽っているように思う。そうしたプラットフォームにいることが当たり前になっている人は、もうそれこそがインターネットの正しい姿になっていて、他の形態が理解できなくなっているのだと思う。しかし私のような人間は、そういう空間は、見ているだけで心が削られる嫌な空間なのである。

じゃあこの個人サイトに書き殴っているだけで良いのでは、と自分でも思うが、それだと半分くらいしか満たされない感覚があるので、モヤモヤしている。すなわち、自分の心がザワつかない内容であれば、他人の気配を感じたいし、自分にない視点だったり、新たな気付きを得られそうな言葉は眺めたい。自分の視野を広げられる、静かだけど前向きな話題は、ゆるく求めているのである。自分が知らない土地に住んでる人の天気の様子とか、誰かが美味しいコーヒーを飲めて嬉しかった話とか、そんな他愛もない話を眺めている中で、なんとなく自分の心が落ち着き、かつ前を向ける、そんな場を作りたいと思っている。そこには反応も要らないし、「認めてあげる人」も要らないし、批判も感想も要らない。自我を発揮する場ではなく、承認欲求を満たすツールでもない。


なんだろうな…。

そんな距離感が良いのです。

こういう思いに賛同してくれる人だけを選別して招待する、といった積極的で面倒なこともしたくなくて、管理人として何か権力を振るったり管理人の自我も別に出したくない。でも治安は守られて欲しいので、意に沿わない人は自然と入ってこない・勝手に去っていく、そんな空間ができたらいいなとずっと思っている。