なぜ今のインターネットは楽しくないのか
ラランドの YouTube を久々に見て、腹がちぎれるくらい笑った。近年まれに見る大笑いをした。
それで、なんでこんなに最近インターネットは面白くないんだろう、っていうことを色々考えてた。
ラランドの何が面白かったか
努力を嫌い、だらしがないニシダ。そんな様子を、サーヤをはじめとするスタッフ陣が「悪口ドッキリ」として様々な方法で指摘する。かなり芯を食った指摘をされているのに一向に響かないニシダも面白いし、「こんなこと言えるなんて相当嫌いじゃないと無理だろw」と思うような悪口をバンバン出しておきながら別にニシダと離れるようなこともないサーヤたちも面白い。
上智大学で知り合った二人なためか、意見が合うとお互いに次々と知的かつ過激な発言が飛び出すのも面白い。SNS でよく見る民度の低い人達とか、芸能ニュースやスキャンダルを平気でズバズバ斬っていくところも爽快だ。
二人の芸風として、人々が薄々感じてるちょっと変なことを極端な理論に発展させる流れが多いと思った。平たい言葉で言えば「人間観察」がベースにあるのだと思う。
この傾向は、伊集院光、爆笑問題、オードリーなどのラジオが好きだった自分としてはかなり合うところだった。
YouTube・Twitter でなかなか面白いモノが見つからない
ラランドの動画をひとしきり見たので、この方向性で他に面白い動画やコンテンツを探そうかなーと思ったのだが、YouTube のおすすめ欄が全然賢くレコメンドしてくれない。ひたすらラランドのチャンネルか、登録済の他のチャンネルしか表示してくれず、見たことない新しいチャンネルの提案が一つもなかった。
ほんで Twitter や Fediverse をなんとなく巡回してたのだが、どうにもイライラするツイートばかりで、全然楽しくない。あの頃の「ふぁぼったー」はどこいった。
怒り・対立・正義感みたいな、強い感情を誘発するモノばかりがおすすめに現れ、興味深い発言、矛盾や曖昧さを面白がるような投稿とは全然出会えなかった。
「自己主張」「人間関係」に重きが置かれているインターネットは面白くない
Twitter や Threads のように、自分の意見を物申すような SNS って、自分は何にも面白くない。お前なんかがナンボのモンじゃい、という思いが強くなってしまう。他人の考え・経験・価値観を等身大で発言されたところで、何の良い刺激も受けない。Funny でも Interesting でもない。
じゃあ Discord サーバとか、Twitter のコミュニティスペースみたいな場はどうかと思うと、なんかこう、「人間関係」に重きが置かれている感じがして、自分には合わない。「昔の個人ホームページの掲示板に集まってたのと同じじゃないか?」と自分でも思うのだが、どうも「誰々が話している」「誰と誰は仲が良い」みたいな情報が強く表れてるような気がしてしまって、「話題」そのものに注目が行っていない気がする。
うまく言えないのだが、Discord なんかでも、その人の日常とか人格とかが見えすぎているのかもしれない。その人がどんな考え・主張を持っていて、それを了承できないとその場にいられない、みたいな感じがしてしまう。
僕は自分について語ることは求めてなくて、趣味や話題について話をしたいのだ。自己紹介みたいな発言は見る気がない。人間関係は目的じゃない。
存在しているのかもしれないけど、「個人サイト」に到達できない
SNS が情報発信の中心で、検索エンジンは大手のサイトが上位を占める。個人サイトは存在しているのかもしれないけど、全然辿り着けない。
ミンゲイインターネットのように個人サイトを集めているサイトはちらほらあるし、自分でも個人サイトウェブリングを立ち上げてみたりしたものの、イマドキ個人サイトをやっている人って技術系のブログがほとんどで、話題や人間の性質に偏りがある。そして各サイトには掲示板やコメント欄がまずなく、昔のホームページのような交流は生まれない。「リンク集」を通じて自分の知らない世界に偶然辿り着けるような導線もない。
作品・創作に集まりにくい
かつては、Flash 作品、GIF アニメ、ホームページそのものが作品なサイト (jodi.org みたいな)、そうした「面白い作品や創作」に対して、掲示板に人が集まっていた気がする。それが誰であるかはあまり意識されないか、二の次だったと思う。どんな日常を送っているのか、普段何を考えていてどんな主張がある人なのか、という情報はまるでなかった。
今って、Twitter にしろ Pixiv にしろ YouTube にしろ、「まずあなたは誰であるか」という人物紹介が前面に出てきて、それから作品を見させられる感じがある。そうすると、「普段政治的な発言ばっかりしてるのに、こんなファンシーな絵を描くのか」とか、「作品は面白いんだけど普段の過激なフェミツイが気持ち悪いなぁ…」とかいうノイズの方が際立ってしまい、人格まで全て自分の性に合わないとなかなかコンテンツに入り込めない感じがする。
何者かが何かを言ってたところで
インターネット上で政治や教育論を語ってる人が、元はお笑い芸人だったり、逮捕歴のある実業家だったりすると、「お前は何を根拠にそんな強い論調で喋れるんだ?」ということの方が引っかかってしまう。この点は、自分が専門性を求められるプログラマとして働いてきた経験も踏まえて感じるところで、「IT にせよ政治・経済・医療にせよ、そんな簡単な話じゃないよね」っていう前提が無視されてるように見えて、浅いなと思ってしまう。有名人がどう思ったとか、知ってなんか意味ある?価値ある?その人がどう思うかどかマジでどうでもいいよね。もっといえば、専門家や当事者であっても、「私はこう "思う"」という個人的な思いや意見には、まるで興味がない。
他に出来ることがなかったから消去法でたまたまエンジニアとして職に就いているだけの一般人が、「正しさ」とか「倫理観」とか「哲学」とか語ってるの見ると、そういうのは思春期に終わらせとけと思ってしまう。根本の思想から間違ってるし、百歩譲ってそこを無視してあげたとしても、聞いたところで何も生まれない雑文なのに妙につっかかってくる言い草だし、ヒスってる奴の感情論と同じなんだわ。
キッパリと境界線があるワケじゃないけど、自分が楽しいと感じるモノは、そういうモノじゃない。「私はこう思う」なんて話は要らなくて、「なんでこうなってるんだろう?」というちょっとした疑問に複数の視点から仮説を投げかけてくれたり、変なモノを観察してシフトしてみておかしさを眺めてみたり、といったモノなんだ。
自分の「評価モード」も切りたい
最近は深夜ラジオも聞かなくなった。段々と「この人の傾向的に、あの話題に触れて、こういうズラし方をしてきそうだ」みたいな予測が立ってしまったり、展開やクセが読めてしまうと、もう楽しくならない。
デビューしたての YouTuber がせっかく興味深いこと言ってたのに、ネタが尽きたか、収益を優先するようになったかで、発信するコンテンツが「消費者向けに作られた完パケ」みたいになってくると、もう楽しめない。
こういう「鋭い選別」って、自分で自分を楽しくできなくしているだけで、マジで要らないんだよな。もっとバカになって楽しみたいのに、ちょっとした引っ掛かりがあるとそのコンテンツ全てがもう楽しくなくなってしまい、損が大きい。
矛盾・偶然・新規性を観察したい
自分は何かを発言して、世界を変えたい人じゃない。「サインフェルド」みたいな、日常のちょっと変なモノ、矛盾みたいなモノを観察して、認識を少しズラしてくれるようなことを楽しみたい。パターンが見える・既視感のあるモノは楽しめない。新規性のある、斬新なモノがもっと見たい。全然知らない世界に偶然出会う体験をしたい。
今の SNS・インターネットは、自分の考えを強化する装置になっている気がして、なかなか「自分にとって新しいモノに偶然出会う」体験ができない。
誰が言っているか、誰がどう考えて生きているかに興味がない。人の怒りや主義主張、啓発とか承認欲求とか、全部気持ちが悪い。
そうではなく、何について話しているのかが重要だ。だから自分は、話し手の個性が見えにくく、取り扱う事柄にフォーカスできる「ゆっくり解説」が好きなのかもしれない。
Twitter も Threads も Fediverse も YouTube も合わない。Togetter、はてなブックマークなんかも「人間味」がキツすぎる。技術系のブログももう新規性がない。
もしかしたら Reddit やニコニコ動画あたりが最後の砦で、「Wikipedia の記事をランダムジャンプしている感じ」に近いかもしれない。
己は己で視野が狭まっている中で、自分の狭いチーズの穴を貫いてくれる面白コンテンツを探している。