「量産できる感動」に感動させられている自分は何なのか
超いまさらなことを言います。
自分は角松敏生や山下達郎などのアーティストの音楽を聴いて育った。角松は1年にアルバムが1枚出れば良い方だし、逹瑯はアルバムが3年・5年スパンぐらいなこともザラだ。Casiopea や高中正義も1年にアルバム1枚というのが大体のペースだ。
心血を注いで作詞作曲し、多くの有名なスタジオミュージシャンを起用し、レコーディングに多大な時間をかけて音楽を作るとなると、1年に10曲程度作るのが限界なのだろう、と、何となく思っていた。
最近、「ホロドリ (ホロライブドリームス)」という音ゲーがローンチされ、プレイしている。ホロライブ所属タレントによるオリジナル曲やカバー曲が多数収録されており、ほとんど初めて聴く曲ばかりだが、どれも良い曲だなと感じている。
作詞はタレント本人が一部関わることもあるが、作曲に関してはほとんどの曲がタレントとは別の作曲家によってなされている。クレジットに記載されている名前を調べると、ボカロ P 上がりのシンガーソングライターや編曲家が多かったり、TRYTONELABO のような「クリエイター集団」と呼ばれるチームが楽曲提供していたりする。
自分はニコ動文化にあまり染まっていなかったので、ボカロ P についてもそれが出たての頃の「ちょっと DAW が触れるだけの素人でしょ?」みたいな感覚が (実際はそうとは片付けられないとは理解しつつも) 感覚的に抜けてないところがあり、「なぁ~~にがボカロ P だよw」みたいな気持ちがあったのだが、なんかもう、そういう一人のボカロ P の作ったデータで、十分に人の心を動かせるだけの楽曲が作れるんだな、と感じている。
「Smile Music Lab」や「HOVERBOARD,Inc」といったクリエイター集団が YouTube をやっていて、「作曲家が10分で曲を作ってみる」みたいな企画をやっていたり、「楽曲コンペってこういうもの」という話をしていたりして、秋元康プロデュースのアイドルユニットなんかが分かりやすいけど、コンスタントに楽曲をリリースする「場」があって、そこに向けて爆速で良品を作って納品することに対する需要がある、ということを、改めて実感した。
一般的な J-Pop って大体そうでしょ、というのは頭では理解していたが、その速度感や物量、それでいて品質はかなり高度なものであるということを、自分が正しく理解していなかったと思う。
予め断っておくが、ボカロ P なりクリエイター集団なりの人々が「頑張っていない、手抜きをしている、実力もないのに楽してボロ儲けしている、感情がこもっていない」などと言うつもりは全くない。
エンジニアとしてやってきた自分に置き換えてみれば、プログラマが様々なことを考慮した結果、書いたプログラムがたったの10行であったとしても、それは「サボったから物量が少ない」ワケではない。設計にかけた時間が数分だったとしても、その間には性能・可用性・拡張性・セキュリティ面など、自分が培ってきた知識や経験を総動員して考慮しており、「10年20年の業界歴があったからこそ、今この場では5分考えてコレが作れた、そしてコレで過不足なく十分なのだ」と言えるコードが出てくるワケだ。
音楽だって、たとえば映画だって、それと同じようなモノで、「私はこの1曲に人生の全てをかけたので他の曲はもう作れません」という芸術家すぎるアーティストはそれで長く食っていくことは出来ないワケで、そう思えばある程度「量産ができる」ことも必要な能力といえるワケだ。
ただ、エンジニアにおけるコードというのは、それ自体で人を「感動」させる必要性はなく、「正しく動くこと」とか「後で必要に応じて調整しやすいこと」とかいった評価軸で良し悪しが語られる。つまりは「個人の熱意・情熱」はあまり関係なく、必要なのは専門知識や普遍的なノウハウであり、極端にいえば「誰が作ったとしても、必要事項をちゃんと考慮すれば、大体それと近いコードが生み出されるはずだ」というところがある。
一方、音楽には自分はより芸術性を感じてきたし、音楽理論などはあるとはいえ「こうすれば正解・完成」と誰もが等しくジャッジできる軸はなく、ましてやそれを人に聴かせて興奮させたり感動させたりするとなると、相当な芸術性が求められるものなのだろうと思ってきた。それが、「どこの誰か分からない人物によって量産されているのに、どれを聴いても感動させられてしまう」というところで、自分ってめっちゃ操りやすい浅い人間なのでは? みたいな捉え方をしてしまっているのだ。
繰り返しになるが、どの作詞家・作曲家も、長いキャリアの中で様々な失敗や試行錯誤を繰り返しており、小手先のテクニックだけでやりくりしているワケではなく、1曲1曲に対してテーマや世界観を真剣に考えて製作しているであろうことは想像している。
でも……でも……!それにしたって、1年の間に色んなアーティストへ何十曲も楽曲提供できるほど爆速で大量生産していて、なんでそのくらいの労力で作られた成果物に心を動かされちゃうんだ!?というところが、今不思議に思っているところだ。
考えてみれば当たり前のことだが、製作にどれだけ苦労したか、どれだけの時間をかけたか、という話と、出来上がったモノを鑑賞した時に受ける感動は、何も比例しないのだ。
これもまたエンジニア業に置き換えて考えてみれば、「新卒が3ヶ月かけて頑張って書いたコード」が必ず良いモノになるとはいえない。同じ機能のシステムでも、「ベテランが3日で片手間に作ったモノ」の方がバグも脆弱性もなく品質が高い、というのもあるあるな話だろう。そういうベテランは複数の案件を掛け持ちしていて、短期間の間に必要なだけ働いて結果を出していて、へとへとに疲弊したりもしていない、そういうモノだ。
古くは「モータウン・レコード」などから始まったように、専属の作曲家チーム・専属のミュージシャン軍団がおり、ヒット作を量産できる体制が組織的に組まれることも珍しいモノではない。マーベルシリーズのように、映画・ドラマで多数のキャラクターを登場させ、それらがクロスオーバーする複雑な世界観を成立させ、「どれを観ても面白い」と思わせる品質を量産している事例もある。
そして時々、「若いのに超詳しい人」とか「才能豊富な新人」というのも出てくる。必要なだけの知識があり、アイデアと実行力があれば、実務経験年数それ自体はあまり関係なかったりもする。
幸いなことに、インターネット時代のイマドキは、情報やノウハウは以前より手軽に、豊富に手に入るようになった。実行補佐としての AI も急速に成長している。DTM に関しても、1200万円もしたフェアライト CMI の時代とは異なり、プロが使っているのと同じ DAW プラグインだってサウンドハウスで4・5万くらいで買えてしまう時代なワケで。iPad に無料で付属する GarageBand で作られた楽曲がヒットした例もあることだし、「初期投資していない素人の音源はちゃっちいから感動できない」ということもないのだ。
逆に考えれば、角松敏生だって1年に10曲ずつはコンスタントに作れる。その間には家族とのプライベート時間もあり、雑誌やラジオ等の別の仕事もあり、他アーティストのプロデュース業なども同時並行していたりする。確かに心血は注いでいるが、とはいえ、デビューから45年経ってもなお、1曲につき1ヶ月程度のペースで製作してリリースし続けることができるという意味では、ある程度の量産体制は確立できているともいえる。
巨匠と言われる映画監督のヒッチコックだって監督本数は50本以上。こだわりの強いことで知られる職人肌のクリストファー・ノーランだって既に13本ほどの監督作を公開している。
「強いこだわりを持ち人生をかけて心血を注ぐクリエイター」といえども、生産数が少ないとは限らず、長年に渡って様々な作品を作り続けているという当たり前のことに、どうも自分は気付いていなかった。
「人を感動させるくらいのモノなんだから、それはさぞ時間と労力をかけて作られているのだろう、だからこそ大量の作品なんて作れるはずがない」と思いきや、想像していたほど1曲に対して時間と労力がかけられていない場合も多いし、それでもなお感動させられてしまう楽曲が想像以上にたくさんあるという事実に、理屈は理解しつつも、なんかこう、腑に落ちていない自分がいる。
きっと自分の中では、いつの間にか論理が逆転して「時間と労力がかけられていないのであれば、人を感動させるモノにはならないはずだ」という考えが強くなっていたのかもしれない。それが転じて、J-Pop を避けていたり、流行りの作品を「どうせ大して面白くないはずだ」「計算された小手先のテクニックで誤魔化しにきてるはずだ」みたいな見方をするようになってきたのかなと思う。
事実、王道のコード進行、意外性を与えられる転調 (を生み出すための音楽理論)、ウケる定番のメロディや構成、といったテクニックやノウハウも実際にあり、それらを組み合わせて「ココで泣かせたる!」と作者に意図された楽曲もあることだろう。そして自分はまんまとそれに乗せられて簡単に感動させられてしまっているのだ。
自分が抱く感動なんて、ちょっとした熟練者なら知ってるノウハウによって、簡単に動かされてしまう単純な回路なのだと思うと、この感動とは何なんだろうな、今まで自分が感動してきたモノは何だったんだろうなと思ってしまう。人の感動って、そんなマーケティングや A/B テストや数学的・統計的にポチッと押せちゃうモノなのか…みたいな。
そう思ったからといって、「作り物に騙されていた」のような興冷め感はないし、依然として感動する曲には否応なしに感動させられる。
- 宮廷画家のように依頼されて描かされた作品が後世に残り今なお観た人を感動させる
- ビジネスとして量産されたモータウン・サウンドは今でも興奮する
- 職業作家により、素人でも買える同じ DAW で作られた楽曲が人を感動させる
- 歌手が作詞作曲に関わっていなくても感動は伝わる
- 「感動」は自分が想像していたよりも手軽に量産できる
もう「世の中ってそういうもの」「人間ってそういうもの」としか言いようがない、いまさらすぎる当たり前のことなんだが、なんかこう、「えぇ……そうなんだ……」みたいな、そんな気持ちになっています、という話。