「考える」のではなく「調べる」
「迷う」のではなく「考える」のだ、とよく言う。だが、「考える」よりももっと先に、「調べる」という行為も意識しよう。
「考える」行為とは、複数の知識を既に有している状態で、それらを比較し、どのように組み合わせると最適解に辿り着けるかを計算すること、だと思う。
知識もないのに「考え」たって何も出てきやしない。それは単純に「答えを探ろうともせず悩んでいるポーズを取っているだけ」。
良いやり方が「思い付かない」と思った時も要注意。自分の頭で思い付く程度のことは、既に世の賢者たちによってより良い方法が考え尽くされているはずだ。自分が新たに発想した気になる快感は忘れ、世にあるベスト・プラクティスや Good Parts を調べる。
(自分程度の人間が思い付いたことなんて、ほとんどが「四角い車輪の再発明」にしかならない)
自分が「思い付いた」ことが合っているかどうかを知るには、「悪い方法」も知っておかなくてはならない。アンチパターンやバッド・ノウハウも沢山仕入れておき、それらに当てはまっていないかチェックする。
知らないことはまず調べる。知っているつもりになっていることは、本当に合っているか確認するために改めて調べる。ちょっと考えても良いやり方が「思い付かない」時は、方法論の知識不足だから「やり方」を調べる。採用しかけている方法が本当に問題ないか、既知のアンチパターンに該当しないか、凡例を調べる。
充分な情報を得てから、目の前の問題に対し、どのやり方を適用するかだけ考えれば良い。