2018年は見栄えを良くできなかった

昨年2017年末、僕は「2018年は見栄えを良くしたい」という記事を書いた。

いくら正論を振りかざしても、相手が従いたいと思わなければ従ってはもらえない。「お前の話は理解できるが、お前のその言い方がムカつくから死んでも言うこときかない」ということは多々あるし、実際のところ世の中の大半はそうやって動いている気がしてきていた。

それでも、生まれて27年目にして決意だけ改めても、そう易易とは自分を変えられなかった。

今回は、2018年の自分を振り返り、2019年からどうしていこうか考えていく。

目次

まずは出来事を洗い出す

まずは2018年にあった個人的な出来事を振り返ってみる。主にブログに書いた記事をベースに、「やった感」のあることを列挙した。

大体こんな感じか。

プライベート面の振り返り

プライベート面の大きな出来事は、やはり入籍と結婚式・披露宴だ。とにかく時間とお金がかかったし、コレに関連して発生したイベントも多かったからだ。

まずは痩せようということでジム通いを始めたが、多分二人共3回くらい行ったっきりで、結局体型的には醜態を晒す披露宴となってしまった。申し訳ない。

結婚式でお金が飛んでいくの目の当たりにし、「何かしなくては」と思っていた矢先、Netflix で観た「ミニマリスト」というドキュメンタリーに触発され、カメラレンズやエフェクターなど、使っていなかったモノたちを大量に売り払った。おかげで机もスッキリした。

家事の分担

自分の生活スペースを綺麗にしたことで、妻の生活スペースが気になるようになってしまった。僕は床にモノを直接置く文化が今までなかったのだが、妻は平気で荷物を床に置くので、僕が注意しないとすぐに床にモノが溢れてしまう。

家事も、料理は妻がメインでやるのでその点は感謝しているが、それにしても洗濯や掃除の負担量が多くないか?排水口掃除とか毎回自分がやってるんだけど、なすりつけられてる?とか思っていた。

何度か家事の分担ややり方で妻と口論になった。というか、妻は本当に何も気になっていなかったので、僕が一方的にブチ切れている状態だった。長時間話した結果、僕の中ではあえて分担を明確にしない、曖昧なところを残しておくことで、ストレスにならないようにした。

自分が気付いてやる気になったら、相手に何も期待することなく、自分の問題として、ただやる。

もし、自分が気付いても何らかの理由でやりたくなかったら、相手に直接「コレをやって」と言う。言われてやりたくないことはあまりないので、大体はコレでうまくいく。

独り言と依頼

妻は「はぁ〜、アレやらなきゃなぁ〜」とか、「コレ買っておかなきゃなぁ〜」というような独り言をよく言う。僕はこれを、「僕に独り言を聞かせることで『じゃあそれやろうか?』とか『買ってこようか?』とか言わせるように仕向けているんだな」と感じていた。

僕の実家ではそういう独り言を言う人がいなかったし、こういう独り言を聞けば「この人は何かを求めているんだな」と察しは付くので、「あ、じゃあ俺がやろうか?」と自然に口に出るから、妻もそういうつもりで言っているのかな、と思っていた。食卓で「醤油欲しいなぁ〜」って言ってる人がいたら、自分の目の前にある醤油瓶を手渡そうと自然に思う、そういう感覚に近かった。

ただ、僕は回りくどい言い方で相手に何かやらせる人に凄く腹が立つので、このような独り言を聞くといつも「何でこの人は直接『アレやって』と言わないんだ」とイラッとしていた。

コレについても、妻と何度も話していくうちに、妻には本当に他意がない、つまり「僕に聞かせよう」とか「僕にやってほしい」とかいう思いが微塵もない、本当の「独り言」であることが分かってきた。言ってしまえば、妻は自分の思考整理をするために独り言を口にしていただけなのに、僕が毎回気を使ってこようとしているような状態だったワケだ。よくよく聞いていれば、妻は僕に頼み事がある時はちゃんと僕に「コレをやって」と言ってくる。

それからは、僕は妻のこうした「独り言」を聞く度に、少しイラッとして、何か言いたくなるのを抑えて、無視するようにした。妻は「独り言」を言っているんだ。僕に話しかけたワケじゃない。僕の中では「無視する」気がしているが、妻は僕の反応をそもそも求めていないんだから大丈夫だ。そう言い聞かせるようにしている。

家庭でも怒ってしまった

入籍前から同棲していて、1年以上一緒に住んできたものの、それでも25年以上生きてきた他人同士が一切揉め事なく生活を共にするのは困難で、上述のように、家事の分担だとかやり方だとか、生活の仕方だとかで口喧嘩になることが多々あった。(一応、叩くとか殴るとか、暴力に走ったことはない)

その度に僕は怒鳴り散らしてしまい、後で滅茶苦茶後悔した。怒っている瞬間の僕は、「これだけ論理的に俺の方が正しいのに言うことを聞けないのか」という思いでいっぱいで、物凄く酷い攻撃をしてしまうのだった。

落ち着いた後はいつも、「コレが一番大切な人にすることか」と反省するし、「いくらコッチが正しかったとしても、こんな言われ方じゃ感情的に納得行かないはずだよな」と思うのだが、結局何度か喧嘩してしまった。


妻と夜遅くまで長いこと話し合った日があった。そこで気付いたことがあった。

僕は怒りたくて怒っているワケではない。…と思っていたが、果たして本当にそうか?

僕は論理的に正しければ感情論は全て抜きに判断できるし行動できる。……本当か?

どれだけ論理的にとかほざいたところで、お前ブチ切れてんじゃん。と。メッチャ感情的じゃん。と。怒鳴るという暴力を振りかざしてんじゃん。と。


怒りっぽい短気な性格は、一種のになっているところもあるので、特効薬があるワケではないが、改めて、

ということを肝に銘じて、日常生活でついピキッときてしまった時は、言葉を飲み込んで、自戒するようにしている。


あと、僕は空腹時に怒りっぽくなりやすいことが大阪旅行中に分かったので、頭に来た時は空腹度をチェックするようになった。

お腹が空いている時にピキッてしまった時は、「ちょっと今お腹が空いててイライラしているから、後で話すね」と言って問題を避け、食糧を補給するようにしている。肉を多めに食べると、きもちポジティブに戻るので、それから話を再開するようにしている。

仕事面での振り返り

2018年2月に、転職して丸1年が経って中途2年目を迎えた。おかげさまで最新のフロントエンド開発の波に乗った仕事ができていた。前職のような、Excel の仕様書の山や、レガシーな自社製フレームワークに苦しめられることもなく、大きな問題はなかった。

チームメンバのスキルは、残念ながら僕が求めていたほどのレベルには達していなかった。僕より若いメンバが多いこともあり、Git もロクに使えない、エディタも使えない、というかよく見たらタッチタイピングすら出来ていない、という状態だった。若さでは許されないレベルの低さも感じていたのだが、僕のタスクが余計に増えるような事態にはならなかったし、使えない奴は飛ばされていっていたので、前職よりはマシだった。

黙ろう

ただ、自分がいたチームで使えなかった若手が、別のチームに異動して、まだまだレベルは低いものの、自分がいたチームでは見せなかった成長を見せているのに気が付いた時は、僕がチームの疫病神になっているんだ、と少し思った。自分でいうのも何だが、他の人たちとスキル格差がありすぎるせいで、メンバが育たないのだ。もう少し分からない人同士でグダグダやっている方が、実は彼らは成長できるのではないかな、と思った。

僕はどのように話しても角が立つ話し方をしてしまうようだったので、どれだけメンバが困っていて、僕がその答えを知っている状況でも、絶対に答えないことにした。直接質問されたらさすがに教えるものの、それ以外の場では知っていても黙るというスキルを覚えて、使うようになっていた。

もし自分がアドバイスを入れていたらどうなっていたかというと、メンバは僕の話を半分も理解出来ないまま、勘違いして作業に戻るので、別の問題を引き起こす。そしてその問題を僕には相談しに来ないので、問題が長期化するのだ。僕に質問したら何を言われるか分からないから、みんな恐れて質問しないのだろうな。

で、僕がアドバイスや指示を一切出さなくなったらどうなったかというと、問題解決にかかる時間は、僕が口を挟んで余計に長引かせた場合と同等程度に落ち着くことが多かった。長いこと悩んで、メンバが問題を自分の言葉で言語化できるようになると、僕のところに質問しに来るので、そしたら僕が答えを教えて、なんとか解決する、という流れになった。

なるほど、チームの進捗に差は出ないし、僕が変に口を出さないでいることでメンバは余計に迷わされることなく、自分の理解できるスピードで仕事ができているようだ。

メンバがどうしても解決できず、僕にタスクを丸投げされたのは2・3回だったが、僕が途中でアドバイスしていたら上手くいったかというと、そうは思えない事例ばかりだった。いずれにせよ彼らには早すぎる課題だっただろうなと思う。

この1年で僕が学んだのは、他人の学習スピードを周りが努力して早めることはできないということだった。自分でいうのもアレだとは思うが、僕は人よりも飲み込みが早く、作業効率が高くて、優秀な方なんだと思う。だから自分の尺度で後輩の学習スピードを観察してはいけないな、無理難題を押し付けることになるな、と思うようになった。全体効率を高めたいがために、早く全部覚えて早く作業しろ、と言いたくなるが、それは無理なことなのだと思った。もし僕が Google とか Facebook とかに入社させられたら、もっともっと周りの水準が高くて、僕が逆の立場になるんだろうなぁと思うし、彼らのスピード感にまかせて、のんびり作業させておいたらいいんだろうなぁと思うようになった。

ただ、このように放牧状態にしておけるのは、僕がいたチームのタスクが落ち着いてきていたからであって、バリバリ開発中の案件では難しいと思う。放置プレイするワケにはいかない現場に低レベルな若手が混じってきた時に、いかにフォローするか、が大切なんだろうなぁ。このスキルはもうしばらく磨けそうにない。僕に我慢が足りない。

暇だった

僕が口を出さないといけないほどには忙しくなかった現場。リーダの意向か、進捗管理もおざなりで、物凄くのんびりやっていた。どのぐらいのんびりやっていたかというと、この1年間で現場都合による残業が10時間未満だったぐらい、余裕を持った仕事をさせてもらっていた。業後に帰社させられるとか、現場以外の理由での残業はあったにせよ、それでも年間の残業時間は40時間程度だった。毎月平均して40時間程度残業している妻と比べると、コレは驚異的なことであろう。(それなのに家事の分担とかで文句言ってたのか?俺は…)

僕に振られる仕事を僕が爆速で片付けてしまうので、リーダも最後は僕を放し飼いにしていた。どのくらい爆速かというと、若手3人が1ヶ月かけて作り上げられなかったウェブアプリを、僕は事前に昼休みの時間を2日ほど使って完成させておいたぐらいだ (昼ごはんを食べてから作業していたので、実働は1時間強)。そのくらい、メンバとのスキル差・スピード差があったワケだ。

リーダはなぜ僕を放し飼いにしていたかというと、いざ客からの問合せが来た時に、爆速で原因調査を済ませて回答を出せる人材が僕以外にいなかったからだ。僕は顧客対応のための待機要員だった、というワケ。だから他のメンバのタスクが少し多くても、僕の方に移されることはほとんどなかったし、僕はひたすらにやることがなかった。

趣味に関する振り返り

暇な間やっていたこと : ブログ執筆

やることがない間、僕は何をしていたかというと、ひたすら自分のブログの記事を書いていた。おかげさまで、2018年の活動実績は本稿執筆時点で以下のような感じ。

サイト 活動量
Neo's World 12回
Corredor 361記事
Murga 102記事
El Mylar 70記事
Bit-Archer 9記事
GitHub 733 Contributions

Corredor に1日1記事以上技術ネタを書けたのが良かった。だが、僕は普段作業ログを書く時点からブログ投稿を見据えた書き方にしているので、実は執筆にかかる時間はそんなに多くないし、仕事が山積みでも毎日投稿はできたと思う。逆に、仕事がないと作業ログを書くこともないので、ブログ記事にするネタがなくて困っていた。今年後半はネタ探しの方が大変だった。コードは全部 GitHub に挙げているので、記事数に比例した Contributions になっている。

Murga は今年前半に多く書いていた。できるだけ読んだ人にとって有益な情報を混ぜ込むよう注意はしたつもりだが、やはり全体的には愚痴っぽい。そして今年後半になると、後輩連中のトロさには諦めが付いてきたし、家でのアンガーマネジメントも多少はできるようになってきていたので、書きたい内容がなくなってきてトーンダウン。最近の愚痴はというと、通勤電車の邪魔臭いババアとか調子乗ったオッサンとかへの怒りばかり。Twitter に吐き捨てて終わりにしていてブログにするほどではなかった。Bit-Archer はさらなる愚痴ブログなので少なくて当然。

El Mylar は趣味のことをのんびり書いただけ。見た映画のログみたくなっているので、一番季節感を感じる。趣味方面でいうと、珍しく Neo's World もちょくちょく更新した方だと思う。ポケモン金銀クリスタルの後略チャートが途中になっているが、もう復活しないだろうな…。

興味を持った技術分野の推移

毎日技術ネタを投稿できた Corredor の内訳を見ていく。

2018年のはじめ頃は、まだ Angular と Cordova を併用したアプリをいじくっていて、Appium とかも触った。それから Jenkins おじさんの道が始まり、「Jenkins プラグインをいっぱい入れてジョブを作る期」を経て「Jenkins はシェルスクリプトを呼び出す cron として使い、実処理はシェルスクリプトに任せる」期に移行した。他には、仮想通貨の Faucets を始めたり、アンケートサイトの利用を復活させたりしていた。その流れでアンケートに自動回答するブックマークレットを作ったりもした。

MacOS に関するアレコレは継続して学習していた。所詮 Mac を使い始めて数年の人間なので、defaults のこともロクに知らないレベルなのだ。Jenkins おじさんとしてシェルスクリプトをいじるようになると、Windows GitBash とのオプションの違いに引っかかったりもするようになったので、Bash に関する知識はちょこちょこ学んでいった。

5月頃は Express で API サーバを構築したりして、また少し Web 屋に戻る感じ。Git の小ネタも継続してひねり出してた。6月くらいから個人で Swift を使い始め、イチから iPhone アプリを組んでみたりしていた。あとブログの記事としては、前職で貯めてきたレガシーなノウハウを総決算した形。だから VBScript の記事とかが多い。

8月はまた Angular いじりに戻り、拙作の Angular Utilities を充実させていた。ちょこちょこ Sequelize を使って MySQL を叩いたりとかしていた。

9月からはド暇だったので、Bash スクリプトや Node.js スクリプトで色んな Web サービスの API を叩いてみる遊びをしていた頃。ほんのり GatsbyJS (React) を触ったが、気が乗らなくて中断した。

10月はデルアンバサダーに選ばれたので、Dell XPS 13 2-in-1 をいじくり倒していた。思えば MacBook って 4K ディスプレイのモデルが存在しないし、OS としても Windows なかなか頑張ってきてるよなぁ〜、なんて思った。Windows GitBash はトロくて、その点シェルを扱いやすいのは Mac かもしれないが、Linux サーバとはコマンドの違いがちょこちょこあって合わせづらいところもあって一長一短。あとは「Xcode を使いたい」ぐらいの理由でしか、Mac である必要ってなくなってきたなぁ、とか思った。Android 開発の案件しかやらないとかなら Windows で全然いいと思う。…なんていいながら12インチ MacBook 買ったけど。

11月は Heroku デビューを果たし、自分で毎日使うアプリを構築できた。Express や PostgreSQL も以前よりちゃんといじれたと思う。これはなかなか良い経験だったと思う。12月は打って変わって Perl CGI を今更いじったりしていた。

というワケで、全体的には、Bash スクリプトとか、コマンドライン系の進展の方が比重としては多くなったかなぁと思った。CSS 周りは仕様が落ち着いてきたし、あまり最先端のプロパティを使って斬新なデザインを作る、とかいう方向には興味がないので、オレオレノーマライズ CSS を作ったりした程度かな。Angular を使ってるとフルスタックなのが助かるので、React や Vue に浮気したくもならないし。

フロントエンドエンジニアになりたくて転職したものの、暇にされている間に、興味のある分野が変わり、そして好奇心自体が落ち着いてきた感じがする。来年はちょっとテコ入れしないと、全部に興味が持てなくなって「35歳定年説」になりかねないかも。気をつけなきゃ。

その他の趣味

ギターはほとんど弾かなくなった。音楽も最近は全然聴かない。iPod と Zolo Liberty で聴いているのは「幕末生」だけという偏った生活。

映画は今年も色々観たと思う。「グレイテスト・ショーマン」はかなりハマったし、「ボヘミアン・ラプソディ」も良かった。音楽関連の情熱的な映画はやはり好みか。毛色は違うけど DVD で観た「アマデウス」は良かったなぁ。

新たな経験

今年新たに経験したことというと、「Netflix」と「VR」の2つかな、と思う。

Netflix を大きく「動画配信サイト」と括ってしまえばそれまでなんだけど、海外のドキュメンタリーとかが好きな僕は電車の行き帰りで色んなモノが観られて楽しめた。ミニマリズム・断捨離に火が付いたのも Netflix で観たドキュメンタリーがきっかけだったし、映画も観た。おかげでツタヤに行かなくなった。

あと、いまさらながらまともな VR を初体験したのが、「VR ゾーン新宿」だった。Oculus Go とかも試してみたいのだけど使ったことがなかったので、ゲーセン感覚で試しに行った次第。実際の人間の目と異なるはずの画角の違いなんかは全然気にならなくて、ちょっと筐体が揺れたり風が吹いたりするだけで物凄い没入感だった。

「VR ゾーン新宿」で提供されているのはゲームであることも関係していると思うが、あまり CG をリアルにし過ぎないようにしてあるのかな、とは思った。あれが本物さながらの高精細な CG で迫ってきたら、精神的にも VR の世界に酔ってしまう気がする。それこそ「レディ・プレイヤー1」の世界というか、新たな現実逃避 (もしくは自己実現?) の手段になりそうな感じ。上手くまとまらないがとにかく面白い経験だった。

あぁ、あとはトレーニングジム通いも新たな経験の一つかな。習慣化しなかったものの、「ジムに行く」こと自体の障壁はなくなったので、機会があればいつでも行ける感じ。

2018年総括

そんなこんなで、2018年を総括すると。

…こんな感じ。

仕事が暇だったことで、社交性や対人スキルが大きく鈍った気がする。幸い、結婚したことで親戚が増えて、ある種「中和」できた部分もあるが、人との会話全般に体力を使うようになった感、というか。

全く個人的な推測でしかないが、視力の低下も、周りに目を向けるのが大変になってきた理由の一つじゃないかと思っている。裸眼ではどこもボヤけているから見る気にならないし、メガネは長時間かけていると目が痛くなるのであまり周りを見たくない。そんなワケでどうも視野を狭めがちというか。レーシックしようかな。

僕の大きな問題であるアンガーマネジメントについては、今年1年間の行いを反省して、もうそろそろ落ち着いてきたかなと思う。電車でイライラすることはままあるけど、それは多分会社と自宅以外に刺激を受ける場所が電車しかないから、余計に気になっているだけだと思う。少し外出しよう。

2019年の目標

というワケで、既に抱負っぽいモノも紛れていたが、2019年の目標を改めて立ててみようと思う。

自分の「癖」や、惰性で過ごしてきた部分を見直して、律していかないといけないな、と思っている。思ってはいる。

実現しよう。実行しよう。

2019年は頑張ります。来年もどうぞよろしく。