いよいよ図の方が大事な気がしてきた
以前こんな記事を書いた。
図に起こした方が分かりやすい場面は多い。しかし、テキスト情報がないと、ググラビリティ (検索容易性) が低いと思う、という話だ。
ググラビリティは確かに低い。しかし、文字で示した情報って、そこまで大事なんだろうか? と、最近思うことが増えてきた。
主にインフラ構築をしていてそう思うようになったので、他の分野ではまた違うと思う。見方の一つとして書き残しておきたい。
コーディングにおいては、宣言的であることが保守性も高まる。だから Kubernetes や Terraform がもてはやされるのだろう。機械にやらせたいこと、実現させたいことをテキストで明示しておけば間違いないっしょ、という。実際のところ、設定ファイルを書こうという段階になって困るのは、DSL (独自記法) と API (何がどのように書けるのか) を調べるところだけで、記法と API が一度分かれば、「アレをこうしたい」をコーディングするのは誰だってできる。
図の重要性はその前段。「そもそも何を作るか」「それを構築した後どうしていきたいか」というところの情報を共有する時だ。
クラウドサービスを使うと、全てが仮想技術の上に成り立っていて、なかなかイメージが持ちづらい。だから「アベイラビリティドメイン」だの「サブネット」だの「ロードバランサー」だの「インスタンス」だのといったアイコンを並べて絵を描く。そいつがどこの何であり、誰と関係があるのか、どの概念と違うのか、といったことは、図を見た方が理解が早い。
この「概念的な理解」こそが、それに関わる人間にとっては重要なことだ。構築する際にどんなスクリプトを書けばいいのかなんて、この先どんどん自動化ツールが出てきたり、AI が勝手にやってくれるようになったりして人の手を離れていくはずだ。仮に人間が設定ファイルをほとんど書かなくなった時に、それでも必要なのは、「結局のところ何が行われているのか」という概念を理解しておく力だと思う。
どれだけ技術が発達しても、根幹でやっていることはそう変わらない。HTTPS だろうと Tor だろうと、物理的なモノに近付けば近付くほど、「結局それは何であるか」という抽象化した理解が重要になる。そして抽象的な概念を理解するのにはやはり「図」がてっとり早いのだ。
「こんなことができるシステムが欲しいなぁ〜」といっちょまえに抜かしたくせに、いざ構築されたシステムの画面を見ると、「下手に触ったら壊れるかもしれなくて怖い」「何を触ったらいいのか分からない」などと言ってくる非エンジニアな顧客もいたりする。
そういう人がいるのはそれで仕方なくて、そんな人達に何ができるかというと (そもそも直感的に使える UI で組むことは勿論として)、そのシステムの使い方を分かりやすく説明する資料が必要になる。取扱説明書だ。
何かを理解してもらって、それを使えるようになってもらう。そんな時に必要なのは、
- 「このボタンを押したら何が出てくるから何を入力する…」
といった説明文章ではなく、
- 「この画面!」(スクショ) → (でっかい矢印記号) → 「このウィンドウ!」(スクショ)
という、超簡単な「紙芝居」を見せれば十分なのだ。
何をすると何が起こる、とか、コレをしたい時はココを押す、とか、そういう情報を文字情報で理解できる人というのは、実は少ない。彼らに対して、いくら丁寧に説明文章を書いてあげたとしても、きっと読めない。彼らは「読めそうにない」と思うと、たとえ重要なモノであっても読まないのだ。そんな人を相手に仕事するのは本当に嫌だが、文句を言っているだけでは何も変わらない。
じゃあ彼らは何なら理解できるのかというと、紙芝居だ。図と図が矢印で結ばれていたり、何かのアイコンと何かのアイコンが括られていたりするペライチの説明資料を見ると、理解できた気になって喜ぶのだ。
実際のところ、彼らは何も理解できていない。そのボタンを押して開かれるのが「モーダルウィンドウ」と呼ぶことも、「テキストボックス」と「テキストエリア」の違いも、システムが裏側でどんな入力チェックをしているかも、何も分かっていない。
でもそれでいいのだ。彼らに分かった気にさせられれば、後は勝手に触り始める。そして「あれ、この『電話場号』入力欄にアルファベットをいれるとエラーになるぞぉ?」などといって試行錯誤しながら身体で覚え始める。
図を使って説明するというのは、何ら体系的でもなく、共通認識が取れているのかどうかも分からない。僕個人の感覚で言えば、図だけでは分かった気にはなれない。しかし実際は、図さえ見れば、何らか分かった気になってくれる人が多くて、「自分たちは分かり合えた」と思えるらしい。
一方、正確に分かってもらいたくて、文章で説明するとどうなるか。文量が多かろうと少なかろうと関係なく、「イメージが湧かない」ことで動けない人は多い。いくらその文章をアウトプットするのに労力を使ったところで、相手に受け入れてもらえないと効果がないのだ。
図と文章。どっちが「相手を動かせているか」(実際の効果を出せているか) でいくと、多少不正確だろうと、図の方が圧倒的に伝わりやすく、効果的なのだ。
テクノロジーの話でいえば、これからは文章すらも人間が頑張って書かなくて良い時代が来ると思う。今ですら「設定ファイルジェネレーター」みたいなものは山程あるし、AI が発達してくれば、本当に人の手を一切加えることなく文章ができあがる時代が来るかもしれない。
それに対して、抽象的な概念の関係を描いた「図」なんかは、機械がその意味を読み取るのはかなり困難である。2枚の画像ファイルが矢印で結ばれているから何だというのか。でも人間はそれを「遷移図」として読めるし、その図を基にそのシステムを使った業務が遂行できるようになったりする。
個人的には未だ違和感が拭えないが、どうも「図」「イメージ」というものは、物凄く簡単に人を動かせるツールであり、「文章」「ドキュメント」というのは、それと比べると効果がないようだ。正確性も検索容易性も、図の方が劣ると思うのだが、人間により重要なのは「大局的に理解できること」なようで、その方が仕事を回せる場面が多いんだな、と思う。
…文章で書くとまとまりがなくて何を言いたいんだか分からなくなってしまった…。