郷に入って従った結果、ただのズボラになってきている、あるいはただの衰え

昨日の記事にも書いたように、現職は前職と比べてあちこちがルーズだ。

前職は何でもカチッと決まっていて、そういうところは自分の性に合っていたのだが、いささかスピード感が遅すぎて、「SPA とか言わないから、せめて jQuery ぐらい使わせてくれ」という現場だったので、転職をした次第。

現職はそうした柵が少なくなった反面、自由すぎて、出来ていない状況に対しても管理がなされていないので、どっちの会社も極端だなーと思っている。

基本は「ルール決めて皆で従いましょ」の方が、会社としては一個人の能力が限界にならずにスケールするでしょ。でも、ルールはないし、ルールを作ること自体を反対される。その状況が、何か職場環境や生産性に良い影響をもたらしているかというと、俺は全くそう思わない。ルールや規則がないから生産性が落ちてると思う。

認知資源の話の時にも思ったけど、こういう人達って、多分大企業に適用する能力がないんだと思う。学生と感覚変わらないまんまなんだと思う。自分は先に大企業で揉まれて来たから、そのフェーズから先に進まなきゃ、その規模のままいつまでも同じことの繰り返しじゃん、って思ってしまうんだが、まー伝わらん。

アジャイルやスクラムが少人数の自走するチームを目指す考え方だから、小さい組織でいることを何とも思ってない。でも僕からすると、毎回同じような苦労をしてるし、この人伸びしろあると思うのにこの文化に染まってるせいで必要なスキルがいつまでも身に付かなくてくすぶってるなー、とか思うことが多い。


そうこうしている内に、「お前がいう前職って何年前の話よ?」ってツッコまれそうな年数が経過している。気が付けば前職とほぼ同じ年数、現職で過ごしている。

「俺の指摘や提案を反対するだけの効果や価値があるのであれば、じゃあ従ってみるか」と、レビューをしない、必要なドキュメントも書かない、会議でだんまり決め込む、質問に適切に回答しない、といったムーブを真似してみていたが、俺の中では「以前よりも良くなった」と感じることは全くなかった。

現職の文化に一旦従ってみて、前職と比較したりしている内に、段々と自分が「小さい会社」の体質に慣れてしまって、かつて持ち合わせていたスキルがどんどん錆びついて失っていく感じがしている。

もうかつてのような品質の成果を、俺は出せなくなっている気がする。


…。

まず、依頼が雑だ。

前職では名前も挙がらなかったようなコンテナ技術を活用したりして、それっぽいアプリを1日・2日でデプロイすることはできた。

「あー、コレでいいよ、おっけーおっけー、サンキューね」

仕事が終わる。

うん、短期間でそれっぽいモノは出来た。でも、品質としては最低だ。

そして2ヶ月もすると、

こういう場当たり的な仕事が本当に嫌いなんだ。先が見えてるじゃんか。

今 AWS CloudFormation で書いてるけど、多分来年にはインフラ基盤を Azure にしたいって話が出てくるだろうよ。お客さんが Azure の担当者と仲良くし始めたからさ。Terraform で書いてたらもうちょっとは移植しやすかったかもしれないけど、CloudFormation を採用したからまた書き直しだろうね → 1年待たずに予算取りができて本当にそうなったよ。

俺ごときが見えてるようなリスクと対策をサボるなよ。


そう思ってたんだけど、最近、段々未来が見えなくなってきた。

私生活でもお先真っ暗だから余計にそうなのかもしれないが、自分の視野がどんどん狭くなってきた。

時間もない、品質的に求められてもいないから、後先考えないショボいコードを書いて納品するようになった。次第にダサいバグを生むようになった。

見積を精緻にやりたいが、いつの間にか Excel ちからが衰えて、関数の誤りが増えた。

あれだけ個人メモに全てを書いていたのに、人から尋ねられて、思い出すこともできなければメモすらない情報が出てくるようになってきた。自分も人に何かを教えられなくなっていた。

出来ていたはずのことが、「そこまでは要らないよ」と言われてやらなくなっていたら、どんどん出来なくなっていた。


新しい言語もフレームワークも、すぐにひととおり使えるようにはなる。

要求される程度の水準であれば、未経験のクラウドサービスでもその範囲では一応使えるようになる。

まだ他の人よりは几帳面で神経質で、未来を悲観的に見ているので、リスク懸念を先んじて潰せていることはある。

上長や会社からは求められていないけど、半年後・1年後に発生しそうな変更を見越して作っておくことで、より低コストで対処できた事案もまだ何とかある。

でも、明らかに、出来なくなった。全体的な能力が落ちた。

この分野のセキュアコーディングなら、俺は把握しているはずだと思っていた。過去に書いたこともあるし、分かっていると思っていた。でも、今いざ書くことになると、あれ、書けないぞ?思い出せない、参考資料はどこに?なんで過去の自分はメモを残していないの?


あーー、どんどん自分が許せないショボい人間に落ちていく。なんて能力のない素人なんだ。

今はまだ誤魔化しが効いているところもあるけど、こんな調子じゃそのうち評価や給料にも表れてくるんだろうなぁ。


恐ろしい疑問も浮かぶ。

コレは会社の文化に染まったせいなのか?それとも、俺の老化による衰えなのか?

もしも、会社の文化が変わったとしたら、俺が望む文化の会社に転職したとしたら、俺は元のスキルを取り戻せるのだろうか?

会社の文化が前職に近くて、「コレだけの高水準な成果を出してくれなきゃ困るよ」ってな現場に自分が入って、もし感覚を取り戻せなかったら?その時は、ただただ自分が衰えただけだ。

衰えた一因として確実に「現職の文化」「現職の要求水準」はあるが、それが「全て」じゃないかもしれない。


あーーー怖い。会社のせいにしてるだけで俺の能力がたただただ下がっているだけだったら。かつて出来たことすら出来なくなっていくだけだったら。どうしよう。

先日記事にした「認知資源」については、今のところ周りよりアドバンテージがあるように感じているが、それも時間の問題か?というか、今もだいぶ抜けてやいないか?

正攻法でかつての自分の能力を取り戻せなくなったら、だから自分の保身のために、オレオレ設計を突き詰めるような生存戦略をとるようになるのか?

自分はなるべく、「コレで得してるのは誰なの?」みたいな疑問を、「こういう文献もあるからコッチで良いんじゃなの?」と根拠付きで喋るようにしたいと思っているけど、段々色んなことをサボるようになって、「俺が考えることが最強、根拠も出典もない俺の思いつきじゃ!」って言うようになるのかな。

個人のプライベートな考えはそれでも別にいいけど、仕事で、他の人とチーム開発する場面において、そういう言動はとりたくないなぁ。「俺が考えたんだから従え」じゃなくて、「この案件のこういう性質を鑑みて、この著名なプラクティスを選択しました。こちらのプラクティスだとココで難が出るので避けました」ってな感じで根拠を添えて話せる人でいたいなぁ。

自分が中心な人間にはなりたくない。でも、自分にそれだけの能力が、もうなくなってきている気もして、恐ろしい。幼稚になっていく気がする。