ネガティブ・ケイパビリティが低下している

以前書いたこの記事。

よく分かっていないモノ、ハッキリしない状況が我慢できなくて、何でもかんでも「今すぐ解消されてほしい」と思ってしまう、というようなことを書いた。この、「不確実な状況」に対して、「その状況を理解して留まっていられる耐性」のことを「ネガティブ・ケイパビリティ」と言うらしい。

人間には「よう分かってない状態」を耐えるだけのキャパシティがあって、最近の社会はそれがどんどん減ってて、既知の概念のいずれかに収まっていないと許容できない、許せないみたいな状態になってないか、と思う
「要するにこういうことなんですよね?」と言わずにいられない、みたいな

最近の世間が全然我慢できなくなって皆が自分勝手になっているような感覚は2011年の東日本大震災の辺りから感じてきたし、ココ2・3年は自分自身の辛抱強さみたいなモノも極端に削がれている気がしている。


東日本大震災の時に思ったのは、大地震や大津波というのは自然災害で、誰の責任でもないこと。しかし、原発事故が起きたことで東電に対する怒りを表し、政府・行政の対応に不満を感じれば「国が謝罪しろ!」的なムードになっていた、そういう世間的な傾向を感じていて、それが嫌だったんだよな。デマや詐欺、陰謀論も出回っていたし、国や首相なんかのせいにしてそれを叩くことで鬱憤を晴らしつつ、全ての原因が政府にあるかのようなすり替えが行われていって、日本全体を見ていて気持ちが悪かった。

2011年というのはガラケーからスマホがだいぶ普及した時期で、日本人の Twitter 利用率が増えつつある時期で、もう少しすると LINE が出てきた頃。インターネットによってそういう「お茶の間の戯言」が大量に可視化されて、エコーチェンバー効果で多くの人がおかしくなっていったような気がしている。

2022年になって。最近エリザベス2世女王が亡くなり、その儀礼の際に警備兵の一人が倒れてしまう事件があった。英軍の兵士が選抜されるそうだが、滅多にない大役を突然任され、緊張や疲労などが相まって倒れてしまったのだろうと、素人目には思ったワケだが…。

ふとこの記事の反応を Twitter で見てしまって、そこで見かけたのは、「こりゃワクチンを接種したせいだな」「やっぱりワクチンの悪影響が…」などというツイートだった。それも数件どころではなく、何十人もそのような言及をしていたことに驚いた。

…ウーン、もう、こういう人達にどこから説明したら良いのか分かんないけど。w 凄いよね、全然コロナの話題なんか関連していない事象なのに、この倒れた警備兵はワクチン接種したせいで失神した、みたいな決め付けが、一人や二人ではなく多くの人の中にあるっていう。

2020年から流行った新型コロナウイルスによって、生活が大きく変化し、長期間強いストレスがかかって、ウンザリする気持ちは分かる。しかし、そうした鬱憤がどこかでねじ曲がって反ワクチンの陰謀論信奉に変わり、英軍の警備兵が倒れた原因がコロナワクチンにあると思い込めるようになってしまった、と。…そこまで思考回路が壊れてるのって、そっちの方がウイルスにやられてんじゃないかと思うけどね。w

まぁでもこういう陰謀論的な思想も、「全ての説明が付く答えが見つかった」という安心感にしがみつきたくて始まるんだろうな、と思うんだよね。こういう、ネガティブ・ケイパビリティが低下した人が他人の迷惑になるだけの狂った存在に陥ってしまう例が、この10年くらいで本当に増えたように思う。インターネットや SNS による可視化が進んだだけじゃなくて、本当にそういう人間の数が増えた感じが、どうしてもしてしまう。


かくいう自分はというと、おかげさまで生まれつき政治にも世界情勢にも興味が薄く、そうした「誰かが唱えた思想」に洗脳されるような狂い方はしていないと思うが、僕の場合は自分の周りの出来事について、自分の頭の中でこねくり回すことに疲れてプチンと来る、っていうパターンがあると思っている。

何で会社ってこうなんだろう、どうして仕事はこんなことになっちゃうんだろう、何でこの人は何度言っても治らないんだろう、どうしてこんな迷惑な奴が生きてるんだろう。

自分のストレス源はそういうモノが多いんだが、仮に 100% その組織やその人間に問題があるとしても、その問題を完全に解決することって、まず無理だよね。

会社の変なルールは売上や法制度なんかと絡んでいて、おいそれとは変えられない。他人が自分の思いどおりにならないことも、生まれや育ちが違うのだから、通じなくて当然のこと。それは分かってる。

しかし、そういう仕事や人間に対する複雑で不確実な問題・課題を感じている中で、「そうはいっても簡単に解決できることじゃないよね」「世の中どうしようもないこともある、そういうもんさ」といって溜飲を下げることもできないのだ。

「こんな仕組みはおかしい」と思っているルールが実際はよく練って構築された最善の策なのかもしれない。俺が「変な奴だ」と思っている人の方が実は正しくて、世界が正しい中で俺一人認知が歪んでいるだけなのかもしれないが、そうだとしても俺がストレスを感じていて不満なのは少なくとも俺の中では事実なんだわ、だから世界どうにか良い感じになってくれ、っていう、どうにもならないフラストレーションも同時に抱えている。

「お前が全部悪いんだよ」「お前の頭がおかしいだけだよ」でも何でもいいから、原因がハッキリして、全てが一瞬で解決してくんないかなー。「答えは42です」って誰か教えてくんねーかなー。


ネガティブ・ケイパビリティというのは、全てを諦め切った、冷め切った態度というワケではなく、「全てが解決する簡単な唯一解なんか存在しないよね」「今すぐ 100% 解決するようなことじゃないよね」ということをキチンと受け入れて、「この問題・課題とは長い付き合いになるだろうね~」という余裕を持った姿勢でいることを表すそうだ。

僕にはその「余裕」はない。もうこの「どうにも解決しない問題がずっと存在し続けている状況」から逃げ出したくて、嫌で嫌でたまらないのだ。自分自身を騙し切れるなら、テキトーな陰謀論を信じ込んで、「俺の人生がうまくいかないのは全て○○のせいだ!」と決め付けて楽になりたい、とすら思ってしまう。

でも実際のところ、誰かに何かをすれば、今ある問題がキレイサッパリ解決するなんて道筋が存在しないのはよく分かっていて、「数十年かけて、何とか納得できる結果に落ち着けられるかもしれないし、ダメかもしれない」ってことは、理屈では分かっている。理性ではそうなんだってことは、もう痛いほど突き付けられていて分かっている。

そうするしかないんだ、って 99.9999999% 思っているんだけど、100% 気持ちを切り替えられないのはやっぱり、僕自身というよりは、我が子にとっての不安や脅威を取り除き、今すぐ、今後一生、我が子が十分に安心して幸せに暮らせる環境を実現させたい、子供が嫌な思いをする時間は一秒でもなくしてやりたいという思いが湧くから、「本当に今すぐ解決することはできないのだろうか?」「我が子に長年の苦労を強いるしかないなんて嫌だ」と考えてしまって、この状況を受け入れ切れないでいる。

僕一人のことだけだったら、「あーどうにもなんないなーでもしょーがねーかー」と諦めが付くが、何よりも幸せを願う我が子に影響があることは「しょうがないよね」なんて簡単には思えないし、「乳幼児期のことなんかそんなに覚えてないさ」とか「もう少し大きくなってから理解すれば大丈夫だ」とか、そういう理屈で自分が納得できるモノではないのだ。あえてこういう表現をするけど、子供本人が「問題ないから気にしないで」と明言したとしても関係なくて、親として心配で、何とかしたい、守り抜きたいという思いは消えないので、完全に僕のエゴで、僕が問題だと思っていることをなんとかして、僕の溜飲を下げたい、僕が納得して安心感を得たい、そういう思いに近いくらい、どうにもならない状況がもどかしくて耐えられないのだ。

「こんな世界で生きて行くのは無理だから死んでしまおう」とか、そういう方向でもないことは分かってもらえるだろうか。「一秒でも早くサッサと全てが片付いてほしい」という思いが我慢できないくらい膨れ上がって気が狂いそうになる。「ただでさえ大きな問題を抱えているのだから、仕事とかの些細な問題はもっともっとサッサとインスタントに片付けや、そんなことで俺は苦労したくねえんだ」と思ってしまう。


僕は世代的にインターネットの普及とともに成長してきたので、インターネットで何でもすぐに解決できる時代になって、「ちょっと調べたくらいじゃ分からないこと」「早々解決しない物事」が存在し続けるのが耐えられなくなった面もあると思う。「問題はググれば答えが見つかるはずじゃないのか?」という、公正世界信念に近いモノなのかもしれない。

一方では、10代・20代の間にココまでの複雑で大きな問題を抱えたことがなかっただけで、初めてコレほど大きな問題を抱えたから対処法が分かっていないだけ、というのが正確なのかもしれない。因果関係が逆、みたいな。初めての人生だからよく分かんないや。

そう、今すぐはどうにもならないんだよ。一生かけてじっくりコツコツ積み上げていくしか、改善に繋がる道筋はないんだよ。そして一生かけても解決しないかもしれない、そういう不確実な物事なんだよ。

それを受け入れられるだけの知恵をください。