成果物の寿命と短期目線・長期目線を考える

自分はシステムエンジニアという仕事をしていて、成果物であるシステムが、構築後何年くらい稼動することを目指すのか、だとか、執筆したドキュメントが何年間くらい読めれば良いのか、だとかといった成果物の寿命をよく考える。

システムは作るのにも時間がかかるが、作った後に使ってもらう中での改修もほぼ必ず発生する。そうした長期的な利用を見越して、改修がしやすいような間口を広げた設計を考慮する。後々に増改築がしやすいような構造を、予め考慮して建物を建てるようなイメージだ。


そうして「先々のこと」を考える癖がついていると、つい「今現在のニーズ」を疎かにしがちである。というのも、「客が今欲しがっているモノを、要求どおりに作っても納得してもらえない」という経験もしてきたからである。客には要求があるのだが、その要求を正確に取り込んでみると「やっぱり使いづらい」「この点を考慮し忘れていたから、こう直してくれ」といった追加要求が発生することは多い。システム化要件を正確に言語化するのは難しいので、ある程度は仕方ない問題だと思っている。

だが、そういう時に「その点はシステム化の際に考慮してなかったので、大規模改修が必要になります」なんていうと反感を買ってしまう。だからこそ、後から何を言われても改修が容易になるようにと予め策を打っておくワケだが、それが行き過ぎて、今言っている要求はどうせ変わるから、このフェーズはテキトーに作っといて次フェーズの準備もしておこう、みたいな短期的な目線を疎かにする心理が生まれたりする。


バラエティ番組を見ていてよく思うのは、時事ネタをパロディにしたり、その時々で人気な人を起用したりしていると、再放送時には古い内容になっており、再放送では面白くない、耐えられない作りにならないだろうか、ということだ。

例えば、僕が大好きだった「めちゃイケ」という番組は、今その瞬間に全力を尽くす方向性のバラエティだったと思う。絡む芸能人もその時の話題の人が多かったりして、DVD 化してまで長期間見続けられるほどの企画は少なかったのだと思う。

しかしそれは、めちゃイケがつまらなかったワケではない。むしろ爆発的に面白かった。数々の衝撃的な企画は今でも僕の記憶に深く刻まれていて、永遠に忘れることはないだろう。

一方で、めちゃイケメンバーのよゐこ有野が出演する、「ゲームセンター CX」は、「レトロゲームの実況プレイ」というスタイルであり、時代の流行に左右されにくい性質なので、DVD 化しても繰り返し視聴に耐える面白さを維持しているように思う。本放送の後も、一度作ったコンテンツでしばらく収益化できるような戦略が取れていると思う。とはいえ、「後から面白くなるように作った」ワケではなく、本放送のその瞬間に見てもちゃんと面白いモノでないと意味はない。

「今この瞬間に、爆発的に面白いモノを作ること」に全力を注ぐのも一つの形だし、「何年も繰り返し見て楽しめるモノを作ること」も戦略の一つだ。番組の性質が異なるので比較するモノではないし、どちらかを批判したりする意図はないのだが、やはり「今その瞬間」に全力を注いだめちゃイケの方が、大爆笑したコンテンツが多く、それと比較すると GCCX は「ニヤニヤと笑える」くらいの温度感という違いはある。


もっと他の業界を見てみる。

百均やファストファッションの業界は、耐久性よりも流行に左右される需要を重視する傾向にあるだろう。

運送業は、今目の前にある荷物を素早く届けることを重視していることだろう。ブライダル業界なんかも、本番の結婚式一発に懸けて力を注ぐ割合が多いと思う。

勿論、「今後も使い続けたいと思ってもらえるようなサービスを提供しよう」「一生の思い出になるような結婚式を企画しよう」といった長期目線も持ち合わせてはいると思うが、まずは「今」の成果物で100点を出すことを重視しているのではないかと思う。

飲食店の料理面を考えた時に、基本的には今日その日に食べて美味しいモノを作るワケで、「何年も賞味期限が持つ食事を作ろう」とはあまり考えないだろう。


システム屋の考えに戻ってみる。

特に内製のサービスを継続的に改良していくために、アジャイル開発といった手法が出てきた。7・80点くらいの出来でもとりあえずリリースしてみて、随時改良していくという方法は、「内製のウェブサービス」という「寿命」が定まっていない性質のモノに対しては妥当なアプローチなのかもしれない。

一方で、旧来の受託型の案件でアジャイルな方式を取ろうとすると、約束事にコミットしないことになるワケだし、完成の定義が流動的になる。客目線でいえばいつまでも完成せず、ずっと開発が続いている感覚になり、そういうパラダイムを納得できないとよく分からない開発手法だと思う。「何で7・80点の状態でリリースなんかするんだ、バグったらどうする!?」と客が思うのも不思議なことではないだろう。

この、「今100点ではないモノをとりあえずリリースしちゃう」というやり方は、中々受け入れにくい手法だと思う。ウォーターフォール型開発や、他の業界なんかでも「締め切りに追われて、コスト問題があって、仕方なく品質を落としました」という場面はあるとは思うが、「100点を目指す」前提があっての現実に対する妥協の結果だと認識しているだろう。

内製サービスに対するアジャイルは何となく説明がつくからまぁいいのだが、僕が納得いっていないのは受託開発でアジャイルを採用するパターンだ。

そういう受託アジャイルが集中する「今」とは、どういう目線なのだろうか。中長期的な目線とは、完成とは、どこに視点を置くのだろうか。本当にそれって「今に全力を注いでいる」のだろうか?

一方で、「先々のことも考えて…」という視点が強すぎると、前述のように今を疎かにした中途半端なシステムになりがち。それでは今何かの役に立っているとは言えないのではなかろうか?どれくらい中長期的な視点を無視して「今」に集中した方が良いのだろうか?


短期的な視点だけだと、「今」しか見ていない短絡的な成果に陥りやすいが、長期的な視点が強いと「今」の充実を邪魔すると思う。程よい塩梅ってどこだろう。今に全力を尽くすことって、どれくらい良いことといえるんだろう。