映画「Mission Impossible Dead Reckoning Part One」を観てきた

映画ミッション・インポッシブルシリーズの7作目、「デッド・レコニング Part 1」を、2023-07-21 の0時、最速上映で観てきた。IMAX はデカい。

一応大きなネタバレはなしで、ストーリーに触れつつ感想を述べようと思う。


ストーリーは追いかけられなくても大丈夫な親切設計。ただ理解しようとするとかなりややこしい。

世界中で猛威を振るう AI の暴走に、組み合わせてペアで1本となる「鍵」が文字通りキーアイテムとなっている、というところまでが分かっていればとりあえず良い。

大体こういう対立構造で、三つ巴・四つ巴の構図になるので、特に終盤の関係が分かりにくい。


しかし、その点はトム・クルーズの超絶アクションで強引に突破するので大丈夫。この手法、「ミッション・インポッシブル3」の「ラビットフット強奪」のところで覚えちゃったみたいで今回も多用される。w

そのアクションについては、数々のメイキングが先行公開されているとおり、トム自身がほぼノースタントで演じている。メイキング映像にはない、「マジで撮影したの?」というようなカットも多く、アクションは大変楽しめた。

ただ、近年の CG によるバレ消しは最終的な映像が美しすぎてしまい、どこか現実味がない。せっかく本当に列車の上で戦っているのに、映像的なリアリティは「ミッション・インポッシブル1」の TGV の方が感じられる気さえする (TGV のシーンは実際には走行させておらず、巨大扇風機とブルーバックを使った特撮)。結構明確に「あ、ココは CG で補ってますね」「ココまでが実写ですね」というのが見えてしまい、凄さが半減してしまっている気がした。やっていることは凄いことなので、CG による補間がもったいなさを感じる。


「はねるのトびら」のプロデューサー、近藤さんがおっしゃっていた「番組は演者の喜怒哀楽を見せる装置」という理論が僕はしっくり来ていて、今回ミッション・インポッシブルを観ていて思ったことがある。

イーサン・ハントは数々の不可能と思えるミッションをこなしてきて、ほぼ無敵のヒーローだ。痛がっていても、クラクラしていても、こっそりスリができるくらいには余裕がある。シナリオ的にも、続編があると分かっているから、イーサンは死なないと思って観ている。そうすると、イーサン・ハントという人物の喜怒哀楽が見えづらく、キャラクターに感情移入しづらいのだ。

そのため、セリフや対比する映像でその説明が入っているところが顕著に感じた。「どうやら君は怒っているようだね…」と言わせてみたり、悲劇を演出するためにトムが泣くなどの演技ではなく映像的な対比を用いていたりといった感じだ。トム・クルーズの演技力の問題なのかとも思ったが、60歳超えて大泣きしたり怒鳴り散らしたりする演技というのもどうかと思うし、こういう処理の仕方になるのも妥当なのかなーと思ったり。


「俺はこのシーンでスタントがやりたい!」「このシーンでは笑いを取りたい!」というトムの欲求が、プロデューサー命令として監督に降りてきて、監督・脚本のクリストファー・マッカリーがそれを何とかねじ込んで形にしている、という感じがした。

本来、状況的に「笑ってる場合かよ」と思うようなシーンにコメディ要素が入っていて、しかしトムがおどけたりふざけた表情をしたりするワケではない。「シリアスな状況に生まれる笑いってヤツですよー、さぁ笑ってください!」という意志が強く感じられ、「トムがそうしたがっているので…」という編集、繋ぎ方の力を感じるシーンがいくつかあった。クリストファー・マッカリーの手腕が遺憾なく発揮されている、といえば聞こえは良い。しかしそろそろ、ワイルド・スピードシリーズみたく飽和状態になりつつあるところである。


本作は1作目との対比関係が多く見られた。キトリッジの登場もそうだし、スパイモノらしい裏切りと策略、ハンドマジックに列車での戦闘シーンなどだ。

中盤、狭い路地での窮屈な格闘シーンが入るのだが、このシーンのカメラの傾き方などは、1作目のブライアン・デ・パルマっぽい画作りだったなーと個人的に感じている。


ちょっとケチもつけたが、2時間45分とシリーズ最長の上映時間になった本作は、あっという間にその時間が過ぎていき、強引さも含めて十分に楽しめる内容になっていた。

Part Two も鋭意製作中なようで、順当に行けば来年公開らしいので、楽しみにしている。