僕が出身地を聞かれて「横浜」と答える理由を考えてみた
「出身は?」「横浜です」「あ、出た、横浜自慢!w」
相手も冗談半分ながら、こんなやり取りをしたことは何度かある。
僕としては「横浜出身であること」なんて自慢でも何でもないのだが、何でこの受け答えが相手にとって引っかかるモノなのか、よくよく考えてみた。
僕は正確には、
- 神奈川県 川崎市 の病院で生まれ、
- 兵庫県 宝塚市 で生後半年まで暮らし、
- 神奈川県 横浜市 で中1まで育つ
という遍歴を辿っている。
正直いって生後半年頃の記憶なんてないので、僕が物心付いて最古の記憶は、既に横浜市で過ごしていた時のモノになる。川崎の病院の記憶もなければ、宝塚での暮らしも記憶にないので、説明を省くために、「自分は横浜市の生まれです」と自己紹介することが多い。
その時に、「僕の生まれは神奈川県です」と言わない理由は何だろう、というのは、自分でも分からなかったので、今回ちょっと考えてみる。
僕の両親は両方とも、川崎市・横浜市の近辺で生まれ育っている。だから両親の話を聞くと「川崎の○○デパートが~」「横浜の○○小学校で~」という風に、「市単位」での表現が当たり前に飛び交う。「神奈川県のどこどこで…」といった表現は聞いたことがないのだ。
つまり、地名で喋る時のボキャブラリーに「都道府県単位」というボキャブラリーがないのである。
コレ自体は多分、みんな各々の地元でそうなのではないだろうか?「○○町の誰々さんが…」とか、そんな言い方をするのではないだろうか?地元に住んでて、わざわざ都道府県単位で話をする必要はないよね? 違うのかな…??
中1まで横浜市で育った僕は、
- 中1から中2まで 長野県 松本市 に引っ越し、
- 中2から中3まで 京都府 京都市 に引っ越し、
- 中3からはまた 神奈川県 横浜市 に戻ってきて、会社員2年目まで過ごす
という流れを辿っている。1年半ほど、長野・京都で過ごしている。コレは自分にとって初めて横浜を出た経験である。
長野に引っ越した時は「横浜から来ました」と自己紹介していたと思う。前述のとおり、自分のボキャブラリーに「神奈川県出身だ」と思ったことがなかったから、単純にそう言っていた。
京都に引っ越した時は、「長野から来ました」「生まれは横浜です」と自己紹介していたと思う。「松本市と言っても伝わらないだろうな」という思いはあったけど、「横浜市と言っても伝わらないだろうな」とは思わなかったらしいことは、言われて思えば一貫性がないかもしれない。w
1年半の引っ越しを経て、中3の時には生まれ育った横浜に戻ってきている。「中1まで住んでいた家」と「中3で戻ってきた家」とは、目と鼻の先で、本当に勝手知ったる地元に帰還している。
高校はもちろん、大学も実家から一番近い横浜市内の大学に通っていたため、大学内で自己紹介する時も、ナチュラルに「ココ、横浜市が地元です」と表現していた。横浜市にいて会話をしているのに、わざわざ範囲を広げて「神奈川県出身です」とボカして話す必要もないよな、という思いで、「横浜市の生まれです」と話していただけなのである。
でも確か、地方から出てきた人たちは「群馬県から来ました」とかいう風に、都道府県単位で話していたと思う。それは「神奈川県よりも外側なら、まず都道府県単位で話をしないと伝わらないだろうな」と思うから、腑に落ちる。けどその後、「群馬のどこ?」だの「新潟のどの辺?」だの、結局市町村を聞く、という流れはよくあったので、出身地というのは市町村単位で明かして雑談するモノなのだという感覚があったように思う。
「町田が地元で~」とか「実家は八王子で~」という風に、東京ならいきなり市単位で話しても分かる、というような雰囲気はあったと思う。誰かと合意した内容ではないが、「そこは伝わるっしょ」というような感覚で生きていたと思う。
こんな調子で会社員になり、「本社は新橋」「勤務地は豊洲」という感じで東京に進出するようになったが、やはり自分のボキャブラリーに「神奈川県出身」という単語がなかったので、「出身は横浜です」と受け答えしていたと思う。「横浜市」という単語が、東京都内で通じないモノではないだろうと思っていたし、それが「自慢」やら何やら特別な意味を与える単語とも思っていなかった、ただそれだけである。
大体、自分で選べるワケでもない「出身地」で、「自慢」とか「マウント」とか、そんな捉え方をしたことがない。他人が埼玉県出身だからって下に見るとか、東京で生まれ育った人に嫉妬するとか、そんな感覚を持ったことがなかった。ましてや「神奈川県」と「横浜市」の表現の違いが「横浜アピール」みたいに思われるモノだとは、全く思っていなかった。
なんでそういう言い方をするのか、って言われても、そういう言い方しか聞いたことがなかったからでしかない。「神奈川県出身です」と言ってもいいし、「横浜市出身です」と言っても全く同じ意味だ、と思って生まれ育っているので、そこに違いを見出したことがないのだ。
最近になって、都内の美容院で同じ会話をした。「ご出身は?」「横浜です」「あ…横浜の人って、そういう言い方しますよねw」と。
素直に美容師の人に「え、他の人って何て答えると普通なんですか?」と聞いてみて、コレまで述べてきたような「僕の感覚」のズレが分かってきたところである。すなわち、東京で会話していて、東京以外の都道府県の話をするなら、まず都道府県単位の受け答えをするのが普通、ということだ。しかし僕のようにいきなり「横浜市」と言うと、「神奈川県」を省略したところに生意気さを感じる人がいる、ということのようだ。
繰り返しになるが、出身地なんていうくだらない情報でマウントを取ろうなどという思いは全くない。しかし、「東京23区に次いで、全国で人口最多の市区町村」という知識はあるので、「横浜市と言って伝わらないことはないだろう」という思いはどこかにナチュラルに持っているのも事実。しかしコレは、地方出身者にとっては考えにくいことのようだ。
それは僕も経験があることで、京都に引っ越した時に「松本市から来ました」とは言わずに「長野県から来ました」と言っていたワケで、それと同じことだと思えば、「東京に居ながら『神奈川県』を省略して喋ろうなんざ、生意気だ」という印象を与えるのも、分からんでもない。
会社員2年目から2023年現在までは、豊島区・池袋に住んでいる。しかし、約20年生まれ育った横浜市と比べると「自分が豊島区民である」という感覚は少なく、どこか「『池袋様』に住まわせていただいている」というような、よそ者の感覚がずっとある。ココは本当の自分の居場所じゃない、僕が一番落ち着くのは地元・横浜だ、という感覚がずっとある。
長野・京都での生活は相当な暗黒時代で、「横浜こそが自分の住むべき街」という感覚が他人よりも強いと思う。地元愛というワケではなく、逃避先としての地元、という感じだ。この感覚は他人にはなかなか伝わらないと思う。横浜の外側というのは常に僕のトラウマなのだ。
子供と会いやすい場所と思うと、現在住んでいる池袋の方が色々とアクセスが良いのだが、それ以外には池袋に住み続けたいと思う理由がない。地元・横浜に戻りたい気持ちがずっとある。相模原でも川崎でもダメで、横浜市内じゃないとダメだ、という感覚がある。
自分が特段「横浜市」を強調しているように思われているとするならば、こういう経緯で、一応「横浜に特別な思い」がある、というところになると思う。
「月曜から夜ふかし」などでマツコ・デラックスがよくネタにすることもあり、最近は「横浜マウント」みたいな受け取られ方が冗談半分であることも理解した (以前は本気で疑問に思って頭に来ていたw)。そして、僕にとってはマウント云々ではなく、自分のボキャブラリーにないまま育ったのが単純な理由だ。何か特別な思いがあるとすれば、地元に帰りたいなと思っているぐらいだ、という感じである。
いかがでしたか?(クソブログ口調)
上下関係だのプライドだのマウントだの、一切考えていないし思ったこともないので、あんまりいじめないでください…。「お、横浜自慢かい?w」という冗談と分かるやり取りでもあんまり良い気分になってないです。でも「神奈川県出身です」と言い改めるだけの気ももうないです。どうでもいいことなので。w