映画「Winny」を観た

2023年の邦画。Amazon Prime Video にて視聴。

2002年に開発が開始・2ちゃんねるで公開されたファイル共有ソフト「Winny」。その開発者である金子勇の逮捕とその後の裁判の様子を描いた作品。


Winny を開発した金子勇を演じるのは東出昌大。役作りのために18キロ増量したらしいが、それよりもプログラミング中に早口になるような仕草だったり、純朴な一面を見せるところだったり、そういう一挙手一投足の NERD っぽさが物凄くリアルだった。演技うまいね (小並感)。

金子勇が半ば強引に・不当に逮捕され、弁護団が結成される。弁護団の事務局長・壇俊光を演じるのは三浦貴大。……最後まで誰だか気付かなかった。三浦友和と山口百恵の息子よね?もっとイケメンだったよね?(ちょい失礼) そのくらい、弁護士の壇さん御本人の雰囲気を見事にまとっていた。一見掴み所のない金子勇という男が、純粋にプログラミングを楽しみ、自己表現の一つとして Winny を開発したことを見抜き、次第に打ち解けていく様子は友情物語的でもあった。

主任弁護士の秋田真志を演じるのは吹越満という俳優さん。顔は見たことあるけど代表作を知らない… (スミマセン)。敏腕弁護士としての腕を遺憾なく発揮する法廷でのシーンはカッコ良かったしグッときた。

ナイフで人を刺したら、刺した人間が罪に問われる。では、ナイフを作った人間は罪に問われるのか?」この Winny 事件の裁判の論点を端的に表現した例え。警察としては、Winny のネットワーク上に警察の内部情報が流出していることを葬り去りたいがために、あくまでツールである Winny の開発者、金子勇を逮捕したのであった。京都府警の警部補を演じる渡辺いっけいなどは、「イヤ~~な国家権力」をベタに演じているが、当時の報道の空気感からするとあながち誇張されてもいなかったな、という感覚。

Winny 裁判の一方で、吉岡秀隆演じる愛媛県の巡査部長は、署内で横行する裏金作りを許せず、記者会見で告発する。執拗な尾行や嫌がらせを受けつつも、Winny 上に流出した裏金の内部資料によって真相が明るみに出る。

Winny の狙いは著作権侵害などではなく、匿名性を保って情報を公開できることだと語る金子勇。一度は罰金刑で敗訴となるが、その後さらに7年の歳月をかけて最高裁で無罪を勝ち取る。しかしその半年後、金子勇は急性心筋梗塞で42歳にして亡くなるのだった。


自分は Winny こそ使わなかったが (「ポート 0 開放」がその当時よく分からなかった)、WinMX や LimeWire、Cabos あたりの記憶はあり、「ネットランナー」などの雑誌でそうしたソフトの「活用法」がこぞって取り沙汰されていた時代を覚えている。

劇中で使用される PC の機種や、2ちゃんねる掲示板の画面などは Windows XP 時代の UI を忠実に再現しており、かなりそれっぽい。クルマの年式や、登場する品々の時代考証は適度に練られている。厳密にはどうなんだ?というモノもなくはないが、物語に集中できなくなるほど破綻した場面はなく、「事実の核心に忠実」に描かれていたので問題ない出来だと思う。

派手なアクションシーンなどもなく、金子勇の日常、裁判の様子などが淡々と描かれていく。その端々に、金子勇の純粋な思い、そしてそれを汲み取った弁護団の努力が描かれ、警察やマスコミ、世間での受け取られ方とのギャップが表現されている。途中から観客である自分も弁護団の一員になって動向を追っているような感覚になっていき、監督の見せ方が上手いなーと思った。

エンドロールでは、最高裁で無罪を勝ち取った後の、実際の金子勇の映像が流れる。「日本の技術者がソフトウェア開発のために萎縮してしまわないような事例を作れたと思う」「若い人たちは頑張ってください」といったことを語って去っていく。


プログラマにとって、「技術的に可能であること」とか「自分のアイデアを実現したい」といった、純粋な探究心というモノがあると思う。もっと広く、モノ作りをする人、表現をする人にも、そうした探究心はあるだろう。

しかし、そうして製作・発表したモノが斬新で画期的である一方で、「特定の人を傷付ける不謹慎なお笑いだ」「戦争を肯定するかのような非人道的な映画だ」といったように倫理的な問題をはらんでいたりだとか、「ディープフェイクによって名誉毀損された」というように想定外の悪用がされてしまったりだとか、現実社会に与える影響はなかなか予測しきれないモノだ。

金子勇は社会秩序を意図的に乱そうとしたクラッカーだったのか。それとも、技術でもって自分を表現していただけのハッカーだったのか。当時は前例が少ない事例だったこともあり、なかなかその誤解が解けず、悪用されてしまっている現実を改善できそうだったのに、様々な事情により自身で迅速に改善できなかったところは本当に悔やまれる。

劇中、東出昌大演じる金子勇が、「宇宙のことなんて一人の手には負えないじゃないですか。人類が滅亡するまでに解明しきれるかも分からない」と語るシーンがある。それでも彼は、壮大な宇宙への思いを馳せずにはいられないのだ。

彼は間違いなく、純粋に技術を探求していただけの、「ナードな少年」だったのだ。逮捕されても、世間に詰められても、その純粋な探究心を捨てられない、「プログラミングがないと死んでしまう」、ただの純朴なプログラマだったのだ。この映画ではそんな純粋な金子勇像が描かれており、大変エモい。とにかくエモい。(急激な語彙力の低下)

歴史に「if」はないが、もし彼がもっとプログラミングに取り組めていたら。2013年に亡くなってしまった彼が、もしこの2024年の現状を見たら、どう思っただろうか。彼だったらどんなことを「しでかしてくれた」だろうか。僕は日本の端っこにいる、いち職業プログラマでしかないが、彼が願った「ソフトウェアによる社会への貢献」の気持ちを、自分ならどのように形にできるだろうかと考える。なんだかメチャクチャプログラミングしたくなってくる。「巨人の肩に乗る」という言い回しがあるが、彼が残した功績 (功罪?) を無駄にすることなく、自分や誰かのためになることを出来たらいいな、なんて思った。

久々にブログを更新して、作文力が著しく低下していて、大変読みづらいと思う。スマソ。でもなんか、不思議と活力が湧いてくる映画だった。俺も頑張ろ。