インターネットについて思うこと (雑記)

休職中で日中やることがないため、リハビリと日記を兼ねてよく分からないお気持ちブログを書きます。

目次

推し活の難しさを感じている

昨年2025年7月頃から VTuber 界隈を見るようになって、「推しのことを調べすぎるのも考えものだなぁ」みたいなことを感じて、以前もそのような記事を書いた。

全てにおいて完璧な人などいないことは理解しつつも、ついついそういう幻想は抱いてしまうものだ。活動者のある側面を見て好きになったのなら、その他の面も良いモノであることを自然と願いたくなってしまう。しかしやはり、そうもいかない。

誰と誰が不仲だとか、実は共演 NG です、みたいな話って、コンテンツを純粋に楽しみたい視聴者としてはゲンナリしてしまう情報だ。みんなでワイワイ楽しくやっている風な界隈に見えても、人間同士なので実際はギスギスしてるところもあるワケだ。

VTuber に限らず、映画俳優同士とかミュージシャン同士とかでも、そうした因縁・確執みたいな話は昔からあったことではあるが、自分はコレまでそういったものにうまいこと深入りしてこなかったから、個人的にはこういうことで思い悩むのは初めてなのだ。「自分が好きなあの人に、まさかそんな側面があるとは…」みたいなことって今までそこまで感じてこなかったのだけど、VTuber は毎日配信をしていて、視聴者との距離も近いためか、そうした「内情」を余計に視聴者が感じ取れやすい気がする。

推しの生配信を見ようと YouTube を開くと、関連動画の中に「あの2人の不仲説を徹底解説!」みたいな動画が勝手に出てきてしまうのもよろしくない。純粋に配信を見ようと思って開いたプラットフォームで、ゴシップネタみたいな「別に望んでいなかった情報」をぶら下げられてしまうのがよろしくない。

ほんでついつい見てしまったその関連動画で、推し本人の過去配信などが中立的に引用されていて、「あれ?コレだと不仲の元凶作ったのはこっちじゃん…?」みたいなモノを見てしまうと、「こんな陰湿・軽率な人を推してていいのか」みたいなことすら感じてしまったりする。

なんだかこれって、誰も幸せにならないなーって思っている。

分かる人はもうどの界隈の話をしているか察すると思うけど、そのこと自体について広めたいとは思わない。自分の中でも、2つの相反する思いがある

  1. 甲の短慮な判断により、乙のメンツが潰されたように見える。乙がそれを許せなくて共演 NG 状態に陥るのもやむを得ない。人間、誰とでも仲良くなんて不可能だし、無理して仲が良いフリをする必要もないのだろう
    • 甲が天然でやらかしてるなら改善の余地もなさそうだし、意図的にしたことならなおさら悪質であり、乙が譲歩する必要は余計にない
    • 乙にも乙なりのポリシーや信念があって活動しているのだろうから、ギスギスしているように見えていても (実際ギスギスしていても) 仕方ない
  2. どちらが悪いにしても、エンタメ界でギスギスした様子を見せられるのは萎える。甲の陰湿なやり方、乙の半ば公言しているような徹底無視の姿勢、いずれも見ていて気持ちの良いものではない
    • 2人で「てぇてぇ営業」しろとは言わないが、すれ違ったら社交辞令で軽いやり取りをする、くらいの大人な対応を双方に望みたい

自分自身も、自分を休職に追い込んだ会社のある人間のことを一生許さないし、何があっても必要な会話でも絶対しないと決めている。無理に話しかけてきたら殴り倒すつもりでいるくらい、和解するつもりもないし周りにどう思われたって良いと思っている。だから因縁のある相手を露骨に無視するみたいな気持ちも全然分かるのだが、(自分もそうしているくせに) それでも他人がそういうことをしているのを外から見させられるのは、ゲンナリするなぁ…って感じる。身勝手でゴメン。w

自分は他人を減点方式で評価する傾向があるようなので、その人の「よろしくない面」が少しでも見え隠れすると、他がどれだけ良かったとしてももう取り返しがつかない。「でも結局こういう人だからな…」っていう思いが勝ってしまって、もうそれ以上好きになれない。コレは僕の受け取り方の問題なのだが、いずれにせよもうそこで一歩引いて見てしまうというか、「今後その人のコンテンツを見ても 100% は楽しめなくて、良くて 50% くらいかな」みたいになってしまうのだ。僕の感受性を変えない限り、炎上したことない人だけを推すようにするしかないのかな。

せっかくの推し活がちょっと興冷めしてしまって、なんだかなー、自分で自分が楽しめなくなるように、つまんなくしてしまったなー、という感じ。みんなこういうのどうやって乗り越えてるんだろ?

SNS は「コミュニケーションの場」ではなく「展示場」になっている

別名義で匿名性の高い掲示板みたいなのを作ってみたんだけど、全く誰も来ないしウケてなさそうだから閉じようかなと思っている。逆にどうやって見つけたのか、統合失調症の人が独り言を垂れ流す場に利用されてて凹む。w

Threads で何か書くと的外れな外野リプライしか届かず、Twitter で何か書いても誰からも反応がない。人気インフルエンサーになりたいなどとは思っていないけど、同士とゆるく会話する空間は自分には作れないのかなーって思っている。思えば昔からこういうの下手だったんだよな。このサイトにも2003年頃から掲示板を置いたりしてたけど全然賑わわなかった。僕からの発信やリプライが少ないのに、それ以上の反応を相手には望んでいるフシがあるので、僕のワガママという面が強いのだろうけど (原因の 99% がコレですスミマセン自己解決しました)。というか、コミュニティというのは「場所」だけがあってもダメで、「人」に付いてきてくれて「場所」が出来上がるのだろうな。つまり僕は「場」を実装することはできても、人々がそこに付いてきてくれるような人望は持っていないワケだ。そりゃそうだ、「賛同できるヤツだけ付いてくればいい、自分一人でも別に勝手に行くから」っていうスタンスで生きてきたんだから、そんな僕なんかに付いていくメリットが他の人にはない。

つーワケで悪いのは僕なんだけど、ふと他の人を見ると、「あ、そもそも SNS の捉え方が違うな?」と思ったところもあったので書いてみる。

数年前から、Slack や Discord で少人数で集まって形成される界隈が多いなと感じていた。なんで Twitter があるのにそこでやらないんだろう?と思っていたけど、Twitter はもはや「コミュニケーションの場」ではなくなったのだ、ということにようやく気付いた。

「ふぁぼったー」が賑わってた2009年頃は、Twitter 内の日本語話者の数がクロールしきれる程度しかいなかった。だから「みんながふぁぼったーを見て人気投稿の流れを知る」という構造が回っていたけど、いまやそんな小規模なコミュニティは Twitter 上に作れなくなっているのだ。

Twitter にも文字どおり「コミュニティ」という機能があり、少人数の同士が集まれる TL を構築すること自体は可能だが、コミュニティの作成は有料プラン加入が必要であり、またコミュニティでの投稿もほぼ公開状態なので、内輪ネタのつもりが流出して炎上、ということにもなりかねない。そういうコストとリスクを考えると、Twitter の「コミュニティ」機能を使うよりは、サッサと Discord 鯖を自分で立てちゃえばいいじゃん、という流れなのだろう。

そう、あの頃の Twitter の規模や空気感というのは、今の Twitter で作るのは難しく、その代替として機能するのが Discord なのだろう。今の Twitter は誰かと話をする場ではなく、自分の何かをお披露目する展示場みたいなモノでしかないのだろう。「ふぁぼったー」時代のようなネタツイも今は思わぬ炎上へと広がるリスクの方が大きく、かつてのネタツイッタラーたちはきっとどこかの Discord 鯖でひっそりと暮らしているのだろう。

そしてコミュニティは「場所」ありきではなく、「人」に集まって出来上がる。僕に集まってくれる人などいないから、僕の Discord 鯖には誰も来ず、他の人の Discord 鯖だけが賑わっているのだ。

僕の場合、なんとなくワイワイ人が集まるコミュニティが作れたらいいな、という思いはあっても、自分がそこで何を話したいかとか、誰と仲良くなりたいか、という意思が全くない。そもそも誰とも仲良くなろうとしてないし、何か特定の話題について誰かと語り合いたいという思いも別にないのだ。じゃあなんでコミュニティなんか作りたいんだ?自分は。

多分ずっと「ポケ熱同盟掲示板」みたいな、管理人が出てこなくても楽しく会話してる空間へのノスタルジーがあってそういうことを考えてるんだろうけど、あれも結局管理人のミュウセヴンさんが放つコンテンツ力があったからこそあのサイトにみんな居続けたくなったワケで、突然掲示板だけ作ってもダメなんだよな。しかし僕には元々コンテンツ力もなければコミュニティを作りたい動機もない。僕がやってもダメなんだ。誰かああいう居心地の良い空間作ってくれないかな。

おわり

僕の元々の性格が悪い、僕に主体性や目的意識がない、という話を、さも「インターネットは変わってしまった」かのように責任転嫁し愚痴るブログでした。