BTTF パート3
BTTF パート3のストーリーや舞台裏等。
- Back To The Future 3 Scripts And Trivia … 全セリフ集と細部考察など
ストーリー
いよいよ完結の第3作目。もう一人のマーティを送った直後の1955年のドクに手伝ってもらい、1985年に帰ろうとするが、タイムマシンを掘り起こした墓地にドクの墓があるではないか!手紙を書いた1週間後に殺されてしまうので、1885年のドクを助けることに。しかしドクは峡谷に落ちるはずだったクララを助け一目惚れしてしまい、マーティは決闘の約束をしてしまった。「あと10分しかない!」「ドク、早くタイムマシンに乗って!」「ドク、タイムマシンは破壊されたよ」マーティとドクはどうなる!そして結末は!最後まで緊張のパート3!
よく見ると…
- 冒頭のマーティが現れるシーン、あれは撮り直し。パート1とそっくりだけど、5年の間を空けて取り直したとは思えない!
- ドクの家には本当に2台 TV がある。
- ドクがトイレに逃げ込むときちゃんとの壁に時計が置いてある。これを置く時に頭を打って思い出したんだね。
- ドクの研究室はパート1と全く変わってない。模型等も全部そのまま。
- デルガルド鉱山でマーティが着ていた服はパート1のと同じ服。
- ドクが「日本製はやわだ」と言っていましたが、1955年当時は国際復帰したばかりだった為、不良品ばかりだったらしい。
- 外にデロリアンを運んだとき夜になっていたのは、穴を壊してからデロリアンを運んだからです (小説版に詳しく書いてある)。
- パート1では兄弟の写真が未来を見る方法になってたけど、今度はドクの墓の写真が大事になる。
- マーティが1885年に行く時のドクの銃。パート1のリビアに向けて使ってた銃と同じ。30年も使ったら壊れる…。
- 全シリーズ共通のうなされるシーン。今度は先祖のマギー・マクフライだった。
- マーティ・マクフライと知らせないようにする為思いついた偽名は、洋服から考えた「クリント・イーストウッド」。
- シェイマスとマーティがお皿を渡すシーン。合成で物を渡すのは容易ではなかったが、真ん中に箱を置いてその上にお皿を置き、いかにも渡しているように見せたらしい。
- ↑の後に赤ちゃんを抱いて貰うシーンがあるが、渡す瞬間の赤ちゃんの向きがおかしい。
- 全シリーズ共通ネタのひかれるシーン。今度は避けた時に馬糞を踏んでしまう。
- パート1では救命胴衣と間違えられたが、今度は真似っ子の西部の服で変な目で見られる。
- 1885年当時は歯磨きせずに皆汚かった。だからマーティの白い歯に目が行った。
- ビフォードの手下が言った「ニーケー」は NIKE (靴) のこと。線路を歩いているシーンで確認できる。
- マーティがムーン・ウォークをしながら歌っていたのはマイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」。またマイケル・ジャクソンだ。
- ドクの持っていたライフルはウィンチェスターの特別仕様。望遠鏡をつけてある。
- マーティとドクが地図を見ているとき、後ろにいるのがクララ。ドクを待っていた。
- 時計台の前でドクとマーティの記念写真を撮ったおじさんは BTTF シリーズの撮影のディーン・カンディ。
- 祭りで演奏していたのは ZZ TOP。得意のギター回しもします。
- パート1でジョージとロレインがキスしたが、パート3ではドクとクララがキスする。
- パート1ではドクが防弾チョッキで助かるが、パート3ではマーティが助かる。このネタはパート2でビフが見ていた西部映画からです。
- ビフォードを捕まえにきたのがストリグランドでなかったのは、ビフォードが殺したからです。
- 峡谷の名前は、最初はクララが落ちたから「クレイトン峡谷」だったがドクが助けたので「シューナッツ渓谷」になる。その後マーティ、つまりクリント・イーストウッドが落ちたから「イーストウッド峡谷」になる。
- パート1の実験の時、ナンバープレートがくるくる回ったけど、今度も回ってる。あんなにぶつかったのに、有り得ないけど…。
- パート2でマーティのギターが下手だったのを覚えてるよね?それはロールスロイスと事故になって腕を骨折したからだったんだ。でもこの映画を通して大人になったマーティは「コシヌケ」の言葉にも動じなくなった。
- ラストの汽車は、デロリアンと同じ走り方をする。
裏話
- パート2とパート3は続けて撮った。パート2で未解決になった部分を残して何年も待たせるのは悪いし、マイケルが高校生に見えなくなるから、と言う理由。
- パート3はパート2から半年で公開になった。
- 西部の町並みはスタジオで撮れなかった。周りの1930年代のニューヨークやキングコングが映ってしまうからだったらしい。だから北カリフォルニア、ソノーラに町並みを作った。この地は1919年から西部劇を生み出し続けた土地だった。
- 第2のロケ場所はモニュメント・バレーだった。ここもヒット映画が生まれた土地。
- マイケルはこの時、すでに30歳だったが、それでも高校生に見えるのはすごい!
- リー・トンプソンと共に、マイケルはアイルランド訛りを練習していた。日本語訳されたのを聴いても分からないけど。
- ジャケットデザインは統一された。マイケルがカメラ目線になった。