会話とテキストコミュニケーションの違い
話すことで情報を伝達する「会話コミュニケーション」と、書くことで情報を伝達する「テキストコミュニケーション」には、伝達手段の違いから様々な特徴がある。
どうして僕がこのセクションでテキストコミュニケーションの方が優位性があると主張しているのか、以下にまとめる。コレを理解できれば、書くのが苦手な人でも「話す」より「書く」方が良いと分かるはずだ。
比較表
トピック | 会話 | テキスト |
---|---|---|
タイミング | 話し手と聞き手が同時に集まり時間を取られる (同期的) | 書き手も読み手も各々の都合の良い時に作業できる (非同期的) |
所要時間 | 聞き手の理解度に関わらず、全員同じ時間拘束される | すぐ理解できた読み手は短時間で読み終えて元の作業に戻れる |
発信側のコスト | 話したいように話せてしまう。話し手の感覚では短時間で「伝えた気」になれて気楽 | タイプ速度が遅かったりすると、口で話すより時間はかかる |
受信側のコスト | 話し手の時系列に支配される中で、前後を推測しながら聞くことになり、労力がかかる | 不明点は繰り返し読み返すなど、読み手がより理解しやすいように工夫しやすい |
全体像 | 話し手が全体像を適切に頭出ししないと、聞き手は何の話をされるのか推測しながら聞くことになり理解度が落ちる | 文書には目次が付くので全体像は一目瞭然。目次が書かれていなかったとしても、文書全体の文量などから読み手が推測できる |
記録 | 録音でもしなければ何を言ったか言わなかったかは記録に残らない。記録にするには、別途議事録を作る必要があるが、この時点で会話をまとめ直した「二次情報」に落ちている | 書いた時点で、ファイル、メール等のデータとして永続化される |
再確認 | 記録がないと、何をどう話していたか、もう一度誰かに問合せるないと確認できない。議事録にしても、文書化した時点で抜け落ちた情報があると発見しにくい | ファイルやメール等を見返せば何度でも「どう書かれていたか」という生の情報を再確認できる |
「会話」は聞き手のストレスが高い・「テキスト」は読み手が工夫して楽できる
「話す」も「書く」も、聞き手・読み手を巻き込む行為。「話す」ためには聞き手を同時間に招集する必要があり、時間的拘束が厳しくなる。
また、「聞く」は「読む」よりも負荷が高く、ストレスの多い行為だ。発信側と受信側とは情報の非対称性があり、原則として発信者の方が多くの情報を有している。受信者はコレからどんな情報が出てくるのか、全体量も前後関係も分からない状態だ。
受信側の負荷を軽減するには、「全体量を先に伝える」「理解しやすい順番に情報を並び替えて伝える」などのテクニックが必要なのだが、「会話」はこうした制御を話し手一人の判断で行うことになる。聞き手は話し手の時系列に従う他なく、「ワケの分からない話をずっとしてるけど要点は何だよ」と思ったりする。
コレが文書になっていると、「全体の文量が多いなぁ」と推測が付いたり、目次を見て「『最後に』を最初に読んでおこうかな」といった順序の制御を、読み手が自分で行える。結果的に、伝えたいことをより正確に理解してもらえるのは、口で話すよりも文書化した方が優れているのだ。
何度でも同じ情報を見返せるかどうか
会話で「発信した情報」は、その瞬間1回しか聞けない。「もう一度言ってください」とか「先日の会議で何と話してましたっけ?」といった質問は別にできるが、完全に「発信した瞬間のオリジナルの情報」ではなくなっている。時間経過により考えが変わっていたり、記憶がズレていたりすると、後出しの情報で「捏造」されることもしばしば。たった1時間の会議内でも、録音を録って聞き直すと、気付かないうちに真逆のことを言い出していたりすることも多い。
一方、文書化した情報は、読み手が何度でも読み返せる。一度読んで理解できなくても、何度か読めば理解できたりするし、「先月時点ではどういう認識で、現在とどう違いが出ているか」といった比較をしたくなった時も、ファイルを掘り返せばオリジナルの情報を確認できるので、間違いが少ない。
なぜ「話す方が伝わる」と勘違いするヤツがいるのか
よく、「メールや文書を書くのは苦手で伝わりづらいと思うので、会議を開いて口頭で説明します」とか抜かすバカが多いのだが、こういう連中の口頭説明が分かりやすかった試しがない。聞き手は本当に苦労している。
コイツらの悪いところは、
- 「話す」と「書く」両方の根本には共通して「言語化スキル」が存在していることを理解していない (だから「話す」と「書く」が別モノだと思い込んでいる、実際は同じ)
- 自分に「言語化するスキル」が欠落していることに気付いていない (母国語だと無意識になるのか、普段から何も考えず生きてる証拠)
- 「会話」にも専門のビジネススキルが存在し、専門のビジネススキルが必要であることを知らない (日常会話と同じように話せばいいと勘違いしている)
ところだと思う。
「話す方が楽」というのは、「発信側のコストを主観で評価した結果」であり、「受信側のコストも含めて全体最適かどうか」を一切考慮していない、極めて自己中心的な考え方なのだ。ベースがこういう思考回路の人間が、他の場面で仕事が出来るワケがない。何をやってもダメだろ。
話す・聞く・読む・書くの4つは、英語だと分けて学習したりするが、母国語だと無視されやすい。また、「日常のコミュニケーション」と「業務中・ビジネスにおけるコミュニケーション」とでは、要求スキルが全く異なることを、そもそも知らない人が多い。
まともな会社だと、新人社員研修や定期的な研修の中で、「ビジネスコミュニケーション術」を座学研修するのだが、こうした座学の経験がない人間は、会話にも文書にも「型」がなく、分かりづらいモノしか発信できない。ビジネスコミュニケーションスキルは座学が必須なのだ。
会話がヘタクソで、ドキュメンテーションの文化がない会社は、こうした社員教育をちっともやっていなくて野放し状態、事業が上手く回らない理由が自分達でよく分からないまま、もっと楽に効率よく仕事が出来るのに非効率で前時代的なやり方をずっと続けている会社だろう。表面的に採用している技術スタックがモダンであればあるほど、本当は抽象化・概念化のスキルが求められるのだが、言語化スキルがないのでそれらも当然欠落していて、何かダサい仕事ばかりしている。
全てのイケてなさの根幹は「言語化スキルがないこと」であり、ビジネススピーキングもビジネスライティングもスキルがないので、対外的に見えるモノ全てがフワフワした分かりにくいモノに留まっているのだ。
ビジネスライティングや、ビジネスコミュニケーション全般のスキルを全社員が座学で養っていけば、社内のコミュニケーションから順次「型」と「流儀」が定まっていき、個々人のスキル不足はある程度「型」にハメることで誤魔化しも利くようになってくるのだが、そういうテコ入れが出来ない会社はスケールしないだろう。
無論、座学研修をやらせていて、全体最適がどれほど重要で、定量的に見てどれほど低コストで高効率か伝えたところで、「やっぱり俺は書くのが苦手だから話をしたい」という害悪もいるが、社内全体にビジネスコミュニケーションの「型」が浸透していれば、型から外れた劣った手法を取ろうとする人間には縛りを効かせられる。それが、会社全体で型なしの、よくいえば「自律型」、正しくいえば「無教育・無監視の野放し状態」の会社だと、皆手探り状態で「俺も書けません」「俺もライティングスキルよく分かりません」「じゃあ話すか」といって、勉強をせず非効率なやり方で貫きやすい。そりゃずっと無駄な仕事してるだけだから個人も会社も成長しねえべや。
2020年以降は、世界情勢的にリモートワーク環境が増えた。究極的には、口頭での会話なんか一切しなくても仕事は回るし、それが強制力をもって実現されようとしているが、未だに「対面で話をしたい」「ビデオ会議じゃないと上手く伝えられない」とほざく輩は絶滅しない。
書くスキルのない人間が話したところで、何時間かけても伝わらねえんだわ。いい加減お前がビジネスコミュニケーション術を勉強しないといけないこと分かれって。長時間何も情報が得られない無駄な会議が面倒臭くて、皆返事すらしなくなってテキトーに会議が終わってるだけであって、お前が伝えたいらしいことは一切伝わってないし、その後の仕事も皆デタラメにやってんだわ。こんなくだらねー仕事の仕方もうやめような。
「型」というのは、「皆で守るべきルール」だったり、「皆が認識して回避しようとしないといけないアンチパターン」といったモノの共通点を総合して暗黙的に出来上がる大方針だと思う。自分は研修と実務で学んできたことを踏まえて、特に「合意形成」や「記録による自衛」、「全体最適」「手戻りの少なさ」といったことを重視していて、それを実現する具体的な手法として、このセクションでナレッジやノウハウを書き連ねている。こうしたルールを守れば全体最適が図りやすくなるし、こうしたバッドノウハウを取り入れてしまうと認識相違が起きやすい、といったことを書いているので、こうした基本的な理屈をベースに「型」を作って組織に浸透させ、情報伝達ごときでコストをかけずにやるべき仕事にフォーカスできるようになってほしい。
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